ぺちぺちくん38・周天7

気功の穴・象気功

いや、見せもんだろということであるが、お子様も見てるというところが最大のテーマで、とにもかくにもたいていのネタがここでとん挫するのである。

まあ、中身の希薄なおためごかしのつかみはともかく、どうもあたしの立ち回るところの多くにちゅーごくの皆さんがおられて、特に観光地に行くともうちゅーごくじんだらけである。

それであたしがウイルスに感染するとかしないとかはさておいて、観光客がいきなりストップてなことになると、旅行関係や物販の店や会社は大変な痛手であるとは思うが、マスクをはじめとした医療関連会社のように逆にウイルスで潤う皆さんもおられるわけである。

あたしとしては日経はさらに下がることを密かに祈念するかしないかは神の思し召しであるが、この新型ウイルスはどうもインフルエンザと同様で広がるにつれて毒性が下がって、しぼーりつはどんどん下がってるような気もするので、このへんかねとも思うあれこれである。

ぜんぜん日本語になってませんよ師匠。

だいたい日本中の霊能者あるいは占い師といいはるパ~のだれひとりとして、このウイルス騒ぎダウ暴落日経暴落を予言したなんてのは一人もいないのを見てもわかる通り、毎度言うことであるが、霊能力だの予知能力だのであれこれがわかるなんて言い張ってるのはほら吹きか詐欺師か脳の壊れたくるくるパ~であるということがよ~くわかるわけである。

史上最強の霊能力念力を持つ天才霊能気功師のあたしが言うんだから間違いないのである。

もちろん、信者はご存知の通りくだんのチャクラ暴発であたしの脳は少し壊れてるかもしれないのである。

壊れてるのかよ。

もちろんよゐこにはお勧めしませんが、どーせこの世は何をやってもなるようにしかならんのだから、好きなもんを好きなだけ食って好きなもんを好きなだけ飲んで、はっきりとは言えないあれこれを好きなだけなさって、おばくちのお花畑でおもいっきりのヘンタイ踊りを披露したいところである。

さて、今日も周天の続きであいかわらずのご機嫌をうかがうわけである。

氣がわかってもわからなくても氣道をストローとして粘液をぬるぬると吸い上げたり吸い込んだりしてると、氣道が少しづつではあるが拡張してくるのである。

気功初心者が周天をやっても、どこをどう上がってくるのかわからないという場合、氣道が細すぎて氣の移動を把握できないという場合が多いのである。

もちろん、氣感のあるなしの問題もあるので、それだけが原因ではないが、とにもかくにも、任脈と督脈を基本とした氣道はやってるうちに徐々に拡張されて、某やくるとのストローがコーラのストローになりタピオカドリンクのストローになり、さらに周囲の毛細氣道を巻き込んだストローが束になって怒涛の氣が巡るようになるのである。

しらんがな。

そんな無責任な。

さてさて、ウイルスのお花畑は咲いたかな?

師匠、そのうちだれかに怒られますよ。

ぺちぺちくん37・周天6

気功の穴・象気功

まあ、あたしは十分な人間のクズであるので、これからクズになるということはないわけである。

しかし、これからクズになろうと決心している皆さんにはべつにお止めする筋合いはまったくございませんので、十分にクズの人生を楽しんでいただきたいと思う所存である。

ううむ、いくらなんでもてきとーすぎると自分でも思うが、これから仕事で出かけなければならんので、どうしても内容が無いようになってしまうわけである。

武漢から帰国した人から3人が新型肺炎に感染してるというニュースであるので、さらに潜伏期間の人もいるだろうから、これからどーなるのか、インタビューを受けてたおじさん二人が潜伏期間だったら記者やカメラマンや関係者の皆さんはどうなるのか、日本国内にも爆発的に広がるのか、さらにマスク屋さんはもーかるのか、あたしはもーかるのか、まったくたいしたことはないのか、実に興味はつきない展開である。

やっぱりそこかよ。

なんのこと?

さて、周天の続きであるが、氣道をストローとして吸いあげると以前書いたわけであるが、そのストローの中を粘液のような氣がゆるゆるあるいはぬるぬるあるいはじゅるじゅる、ううむ、じゅるじゅるは違うか、まあ、実際には粘液とは違うのでとにかくなんと形容していいのかわからんが、ああ、あの例のときにアレするチューブにはいったぬるぬるのアレの状態のアレである。

諸般の事情ではっきりともうしあげられないのでお察しいただきたいが、あのときにご使用になるアレのぬるぬる感というのか、粘着力のないアレをストローでゆるゆる吸い上げるというと、少し近いものがあるかもしれないのである。

まあ、ご使用になったご経験のない方にはなんのことやらわからんだろうし、なにしろ体内の感覚であるので、言いようもないわけであるので、根気よく継続して、その感覚をつかんでいただきたい。

これ、あかんかな。

終わり。

ぺちぺちくん36・周天5

気功の穴・象気功

まあ、その、なんである、バカは自分がバカであることが自覚できないからバカなわけである。

あたしは自分がバカであることを百も二百も承知であるし、IQの視空間認識力が200で平均160の子供をリアルにご存知であるので、どんなのがおりこうさんでどんなのがおバカさんなのかもだいたいわかるし、その子に比べれば、自分が犬とか猫の次ぐらいにバカであるのもご存じである。

「バカは死ななきゃ治らない」というのは名言で、バカをあれこれの方法で天才にしようなんてのは愚の骨頂もはなはだしくて、4歳でNASAのサイトをみて「ブラックホールの特異点は回転してるのか」なんて質問をされると、この子がいったい何を言ってるのかさえ分からんあたしらバカは何をしてもバカなので、バカの人生をバカバカしく過ごしてバカな死に方をするのが正しい生き方であるとしみじみとあれこれするわけである。

最初から見えてるものもちがうし、見たもの聞いたものは勝手に脳がすべてを記憶してしまうてな脳の機能の違いを目の当たりにすると、あたしらバカは「あきらめが肝心」という喜びを心の底から楽しめるわけである。

まあ、とにもかくにも、バカをバカにしたりするのはバカの特徴であるということが言えるわけである。

そーゆー深い意味合いのネタであるが、意図が大変伝わりにくいかもしれないので、親切に答えも書いておいたのである。

こーゆーのをバカ丸出しというのである。

だれが笑うんだこんなの。

いつものオチである。

まあ、それで今日も周天の続きである。

周天はある意味上級の気功法で、氣がわからんとわかりにくいわけであるが、氣感を得るには逆に周天が手っ取り早いのである。

だから、氣がわからない場合は、イメージでもなんでもいいから、肺の呼気吸気と連動して丹田・会陰から氣を吸い上げ頭頂部を廻して氣海丹田に吸い込み手足にまで広げ、さらに手足の指先がしびれるまでぐるぐるあれこれしてるとそのうちいやでも氣がわかるようになるのである。

ちゅーごくの新型肺炎の患者は5400人超で死者131人てなことである。

いきなり話を変えるなよ。

マスクの会社は思わぬ大儲けで笑いが止まらないと思うが、笑ってると会社にひをおつけになられるのである。

まあ、このように、こんなパンデミック寸前の緊急事態のときにも、人によってはどこに幸運の女神が笑ってるかわからんもんであるので、なるようにしかならんがなるべくしてなるということである。

どーせいっちゅうねん。

しらんがな。

いつものオチである。

ものすごくわかりにくいのである。

答えはないのである。

お前バカだろ。

ぺちぺちくん35・周天4

気功の穴・象気功

まあ、なんだ、命に係わるネタはすぐ行き詰まるのである。

ここがね、なかなかお笑いの難しいところで、突き詰めた笑いは次の笑いを困難にするのである。

そうかといってほのぼのだのほっこりだのまったりだのというのは吐き気がするばかりで、五千回の生まれ変わりですべてを見てきたあたしのみこころにそぐわないのである。

うそつきは閻魔様に舌を抜かれるぞ。

それ自体がうそだもんねー。

キリがないからやめなさい。

だから、まあ、とにもかくにもお笑い芸人として行くとこまで行きたいわけであるが、信者をほったらかしにして暴走することになるので、好感度がだだ下がりになるわけである。

まあ、この漫画でべつに得になることもないので好感度もへったくれもどーでもいいのであるが、アウトプットのお楽しみは楽しめるわけである。

人間は入れたもんは出したいわけであるので、出さないのはべんぴと同じで不快感のあれこれになるのである。

「あれこれ」が出るのは考えもなにもなしにてきとーにキーボードを打ってる証拠であるが、そんなあたしも新型肺炎の行く末には多大な興味があるわけである。

いきなり何を言ってるんでしょうか。

まあ、医師でもない一介のあたしらバカ霊能気功師が何をしようが広がるものは広がるし、収束するものは収束するだろうから、心配するだけ無駄であるが、東証ばくちうちとしては、はっきりとは言えない方向に推移することもそこはかとなく希望しているわけである。

なんだかんだいって、製薬会社も医師会もある意味大チャンスであるので、あたしと同じ方向の推移を期待してると思うが、それをあからさまに言うととんでもない制裁バッシングを受けることは当たり前である。

てなことで、とにもかくにも事態の収束を心より願うとひとことおためごかしで言っておくわけである。

まあ、象師匠ったら、なにがなんでも崖っぷちの笑いが好きなんだから。

しまいに落ちるぞ。

さて、周天の続きである。

肺をふいごとして呼気と連動して丹田に氣を吹き込むと全身の氣道が開いて手足の指がぴりぴりびりびりよてな感覚をつかめるわけである。

そうなると、たとえば気功や太極拳あるいはあれこれの呼吸法の呼気のときに丹田に氣を吹き込む習性ができて、たとえばラジオ体操の単なる深呼吸でさえも全身の氣道を広げ、全身の毛細血管を開く気功法となるわけである。

究極には普段の呼吸でも呼気で丹田に氣を吹き込み全身の氣道が広がり、指先の末梢血管まで血流が良好になるのである。

つまり、普段の呼吸でも自然に氣を丹田に下げるとともに、全身の臓器の細胞の再生メンテナンスを良好にあれこれするわけである。

もちろん、それ以上でもなければそれ以下でもないのである。

何を言ってるかというと、小周天も大周天もあれこれの呼吸法も、ほら吹きやくるくるパ~の言ってるような「神がかりなこと」は一切起きないということである。

神がかりが起きるなら、気功や仙人の本場のちゅーごくの新型肺炎は神通力でとっくに収束してるのである。

まあ、パ~に対する悪口はこんなとこかな。

悪口かよ。

ぺちぺちくん34・周天3

気功の穴・象気功

ちゅーごくのししゃが80人に増えて、日経いきなりの500円安である。

まあ、新コロナバイラスの展開がさらに加速して、国民の楽しみの東出不倫どころではなくなる様相を示してるわけであるが、東出さんの馬鹿丸出しについてはもともとそんなに日本国民総出で口を極めてののしる話でもないわけである。

だいたいが「不倫」てな言い方をするといかにも人道にもとることに聞こえるが、「亭主の浮気」てなどこの家庭にもごくごくありがちなありふれた話であるので、家庭内はてんやわんやのおおもめとしても、これを社会の敵極悪人のように取り上げること自体がへんな話である。

しかし、まあ、どちらの奥様にも大変身近なことであるので、わかりやすいといえばわかりやすいし、命にかかわる話でもないのでマスコミとしてはお気楽に袋叩きをして視聴率販売部数売り上げ収入の糧とするわけである。

てな東出さんのピンチに、彼にはいわば神の助けの新コロナバイラスである。

ちゅーごくでアップされた武漢の病院の様子の動画なんかを見ると、とんでもない押すな押すなの大混雑の病院の廊下に倒れてた人が防護服を着た人に運ばれて行ったりするし、治療してた医師がいきなりバタンと倒れて運ばれて行ったりするので、いやはや、先日のニュースタイトルの「世界の終わり」を地で行くような映像で、あーらびっくりねである。

だから、この「ししゃ80人」も言ってみれば眉唾物で、なにしろちゅーごくであるので、どーだかわからんのである。

まあ、文革で達人と言い張るほら吹きがみんな台湾に逃げ出して、レベルは地の底に落ちたとはいえ、気功仙人の本家本元のちゅーごく本土であるから、なにしろ雲霞を食って生きてると言い張る達人仙人が出てきて神通力であっという間に治していただきたいところであるが、そんな話はみじんもなくて、誰もかれも病院に押しかけてとんでもない大混乱である。

まあ、そんなくだらんもんに頼らずに病院に押しかけるちゅーごくじんみんの行動が正しい判断であるのは言うまでもないことである。

かくのごとく氣なんてもんはなんの役にも立たないもんであるが、さて、「やらないよりマシ」の周天の続きである。

周天のシメとして氣海丹田に肺の吸気と連動して十分に氣を吸い込んだら、次に肺の呼気と連動して、丹田を風船として、氣道からさらに氣を吹き込むのである。

まあ、言ってみれば氣道を吹き込み口として肺のふいごで吹き込むわけである。

ううむ、今時、ふいごは死語かな、まあいいや。

それで、圧力をかけてさらに丹田を拡張するわけであるが、丹田に圧力がかかると全身の氣道が開き、手足の指もぴりぴりびりびりよ、となるわけである。

本日はここまで。

まあ、センセったらあっさりなんだからぷんぷん。

もちろん、なにごとも「努力は無駄」であるが、こればっかりはやってりゃそのうちわかるてなことで、気功法を継続して繰り返すことにより、DNAのスイッチを切り替えて氣感を得るしか手立てもないのである。

象気功を読んで正しく理解してる信者には耳にタコであろうが、氣は朝起きて活動を始めればどんどんできるので、特別なことは必要ないのである。

そのどんどんできているものがわかるかわからないかは、氣感があるかないかということである。

ボケは思いつかないのでなしである。

いつもない方がいいと思うけど。

うるせーよ。

ぺちぺちくん33・周天2


まあ、その、なんである、高知能高学歴の代表の大学のせんせーでも女子学生にはっきりとはいえないものすごく恥ずかしいことをしておつかまりになったりすることは枚挙にいとまがないわけであるので、ある意味あたしらバカよりまぬけだったりするわけである。

いずれにしても犯罪は効率が悪いわけであるが、それはあたしらびんぼー人の話で、政財界の要人あるいはその関係者となる皆さんの間ではいわゆる清濁併せ呑むてなことで清廉潔白とは正反対の泥まみれの人が世間この世を仕切ってるわけである。

まあ、そうは言っても、いわゆる極めて高知能の皆さんであるので、あたしら低知能の知力の及ばないところでヤバいことをあれこれしてるわけである。

それがときどき表面にあらわれて、あたしらびんぼーにんの想像力を超えた金額や犯罪行為にあーらびっくりねするわけである。

それを摘発してるのも利害の絡んだ商売敵や政敵であるので、どっちもどっちで、さらにこれが世界となると、ご存知のとおり、だいとーりょー命令で人ひとりとその周囲の人をたくさん簡単におころしになってしまうのである。

もちろんせんそーということであれば当たり前のことであるが、だいとーりょーがあろうことかおさつじんを命令するわけであるので、個人の利害が根幹にあるとはいえ、国家を動かすということはそーゆーことであるわけである。

たとえせんそーとなっても高知能の皆さんにはチャンス到来で、日本のしゅーせんという名のはいせんのおり、低知能のびんぼーにんが食うや食わずになったときに、そのどさくさでとんでもない大資産を築き上げた人もおられるのである。

このように、この世は数パーセントのごくごく少数の高知能の皆さんがあたしら低知能のバカのし知らぬところで人を人とも思わぬ犯罪を犯し、とんでもない資産金額を得ているわけであるが、それはもちろん生まれ持っての能力であるので、何をどうしたらそうなったということではないのは当たり前である。

「天才を作る方法」てなたぐいの間抜けなご本があれこれ出てるが、アホ抜かせということである。

バカをどうこうしても、バカは少しマシなバカになるだけである。

もちろん、チャクラが覚醒しようが、氣が高まろうが、悟りという名のくるくるパ~になろうが、バカはバカであるので、バカの遺伝子に影響を与えるのは至難の業である。

日蓮さんも空海さんも修行や念仏真言でほら吹きになったわけではなく、お勉強と活舌の訓練で生まれつきのほら吹きがさらにひどくなっただけである。

あたしらバカはおっちぬ瞬間までバカであるのは、輪廻生まれ変わり5千回で最終段階のあたしが言うんだから間違いないのである。

だれが輪廻生まれ変わり5千回で最終段階だ。

もーしわけありません、ついこーふんしていつもの嘘八百を並べてしまいました。

でも、「やらないよりはマシ」であるので、少しマシなバカになるために、さらに周天を解説するのである。

周天の目的の一つに丹田を拡張させるということがあるのである。

周天の最後に氣海丹田に氣を吸い込むわけであるが、このとき丹田に圧迫感や膨脹感を感じたり、ぶるぶると振動したりするのは、丹田に氣が入り拡張されるからである。

丹田が拡張するということは、もちろん氣が降りて泰然自若とした精神状態を作り出すということもあるが、なによりも小腸の血流を改善してよろしい方向にあれこれするということが肝心かなめの要点である。

まあ、象気功では開講当初から言い張ってることであるが、小腸は人間の原点であるので、脳さえも小腸の状態あるいは方向性と連動しているのである。

だから、とにもかくにもなにはなくとも「丹田」であるのである。

またあした。

あしたのことを言うと鬼が大爆笑するのである。

まあ、笑うことがなによりである。

なにゆーてますのん?

うるさいよ。

この人あれなの?

ぺちぺちくん32・長生きをするのは普通の人

気功の穴・象気功

たとえば、夕食を少なくすればやせるだとか、何時以降に食べると太るだとか、朝はバナナにしろとか、いろいろなダイエット法があるが、あたしはダンサーという職業がら全部試してみたが、どれもこれも大差ないとんちきで、基本的にはカロリーの消費であるので、食えば太るし、食わなきゃやせるのである。

だれがダンサーだ。

このように当たり前のことを言ってしまうと身もふたもなくて、ダイエット本などのほら吹きで食ってる医者やでたらめ本の書き手はネタがなくなってしまうのである。

象気功はこの「身もふたもない」ネタが真骨頂であるので、「死んじまえば終わり」という当たり前ことを言い張って、あの世だの前世だの先祖供養だの地獄だの浄化だの昇華だの魂をみがくだのスピリチュアルだの終末だの審判だの新世界だのアセンションだのてなまやかしネタで食ってる日本中の詐欺師ほら吹き嘘つき脳の壊れたくるくるパ~を敵に回しているわけである。

気功やヨーガや密教やヒーラーやレイキや手かざしその他の氣に関するパ~にも「氣なんかなんの役にも立たない」という身もふたもない当たり前のことを言って高座のご機嫌をうかがっているわけである。

いつも言うことであるが、日本や世界のご長寿者のインタビューなんかを見てみると、例外なく「特別なことを何にもしないふつーの人」ばかりである。

うちの町内会の8人の100歳以上のご長寿者のじじいばばあも、ただのびんぼーにんでおもいっきりの何にもしないふつーの人である。

気功やヨガの達人やほら吹き宗教の教祖や信者がそろって100歳以上の長生きという話は見たこともないし聞いたこともないのである。

まったくそんなことはなくて、どんなに修行をしてもどんなに信心をしてもがんにも脳梗塞にも心筋梗塞にもふつうになるし、お布施でふんだくった金で食いすぎての太り過ぎや、意味のない断食でやせすぎの栄養失調で具合が悪かったり、気功師にいたっては「氣を患者に与えるので体が弱って平均寿命は65歳ぐらい」てな馬鹿丸出しのいいわけもあるぐらいのできそこないである。

ごくごくたまにほら吹きでも長生きの人もおられるが、それは修行とか信心とかの効果ではなく、もちろん遺伝や生活習慣や医療の問題である。

つまり、氣や精神や食てなことに、特別ことはなにもしないでふつーの生活をしてることが健康で長生きする秘訣であるということである。

まあ、身もふたもない。

だからさっきから言っとるやろ。

まあ、そんな象師匠ってキライよ。

なんやねんこれ。

すんません。

ぺちぺちくん31・周天1


あたしの母には男の兄弟つまり叔父が6人いるのであるが、そのほとんどがあるちゅーである。

あたしが子供のころは、集まればすぐ一升瓶が何本も空になって、全員が酔っ払って怒鳴りあいが始まって、しまいには誰かが馬乗りで一升瓶振り上げて誰かが羽交い絞めして止めてるなんてのが毎回の日常で、それがどうも全員があるちゅーなんではなかろうかということが最近になってあれこれの情報でわかったのである。

そのいわゆるあるちゅーの症状のひとつなのか、全員がしらふでもひどく短気で攻撃的である。

飲まないうちから目が座っているので、飲んだらそらもう天下一武道会が始まるのは当たり前である。

最後は「二度とこんな集まりには来るか!」と激高して怒鳴りあって帰るのであるが、この叔父たちは大変寂しがり屋で、半年もしないうちにまた集まって天下一武道会が始まるのである。

まあ、今では全員がお年を召して、ぽつぽつ歯が欠けるようにお亡くなりになって、天下一武道会が開かれなくなって久しいので寂しい限りであるが、あたしはその叔父たちの体たらくを見て育ったので、子供心にさけのみしゅらんには絶対になるまいと固く決心したのである。

ところが開けてみてあーらびっくり玉手箱で、DNA遺伝子情報には逆らえず、気が付いたら飲むわ飲むわで、さらには食うわ食うわで、そこそこのびんぼーにんなりにエンゲル係数は低くないのである。

しかし、父方の家系にそんなにあるこーる分解酵素がないせいか、叔父たちのように何が何でも毎日晩酌ということもないので、あるちゅーになることもなく、ほどほどのしゅらんとぼーしょくで人生をたしなんでいるわけである。

おわり。

気功はどうした。

まあ、周天はストローでひじょーに粘り気のある液体を肺の吸気を連動して丹田から会陰を通して吸い上げて、後背部から頭頂部を廻して体躯全面を通して丹田に吸い込むということである。

ひじょーに粘り気のある液体であるから、するすると上がってくるわけでもなく、しゅーしゅーと上がってくるわけでもなく、ねっとりと粘ってるものを、意識と肺の吸気を連動してストローで丹田から吸い上げて丹田に吸い込むわけである。

実際にはねばねばしてるわけではないわけであるが、空気のように抵抗がないものとはちがって、氣道を吸い上げるあるいは丹田に吸い込むにはそうとうな抵抗があるということである。

丹田に吸い込んだら、それを風船として全身に広げ、さらに手足の指先がしびれるまで体外空間に広げるということである。

周天は座して行うよりも、立位で丹田に両手を置いて行う方がよろしいのである。

座して行うと回り切れずに滞って頭部に残ったり、部分的に希薄になったりして、不都合が出る場合が多々あるのである。

また、この周天が正しくできると、氣道にかなり強い影響を及ぼすので、気功的には効果が高いのであるが、やりすぎると氣に敏感になりすぎたり、さらに過剰になればチャクラの暴発を招く場合もあるので、上級者は象気功タームの「やらないよりはマシ」をもって最良となすのである。

こんなおちゃらけたブログでいうことかよ。

いや、まあ、象気功自体がおちゃらけてるし。

ぺちぺちくん30・狐の霊と犬の霊

気功の穴・象気功

まあ、このようにくるくるパ~にだまくらかされてもうけられているくるくるパ~の人が日本全国に何千何万とおられるわけであるが、まあ、それはそれでこの世の仕組みであるので、いたしかたないわけである。

だまくらかす方のくるくるパ~はだまくらかすことに全力のくるくるパ~であるので、だだまくらかされる方の浮かれたおっちょこちょいのくるくるパ~はひとたまりもなくひっかかってしまうのである。

まあ、ある意味某三菱地所や某積水ハウスてな大企業までもだまくらかす地面師の皆さんと同じようななりわいであるので、そこはそれシミュレーションが行き届いて全力で巧妙であるので、知性に自信のある人までも簡単にひっかかって、「ああ、この教祖様にすべて従おう」なんてことで、芸能人はもとより医師や弁護士や大学教授なんて人までいわば詐欺の片棒をかつぐ幹部になったりして、始末の悪いことにまったく悪気もなくあちこちでいっしょにパ~をだまくらかしているわけである。

ことほどさように、くるくるパ~のしばりは「やめたら地獄に落ちるぞ」を代表とする恐怖ホルモンの放出をからめた巧妙な仕組みになっていて、一度しばられたら容易にほどけたもんじゃないのである。

まあ、そうはいっても、そのしばりが全財産をふんだくられてもいいぐらいの快楽ホルモン怒涛の放出である場合も多々あるのである。

えすえむぼんでーじと同様で、こーいった趣味嗜好にはあたしらしろーとが口をはさむ余地もないので、十分にだまくらかされて全財産を放出して快楽ホルモン放出を楽しんで人生をことほいでいただきたい。

こんなパ~の悪口雑言ばかり書いてる象気功であるが、「お前が言うな」と言われれば、そこはそれ、何事もこの世を楽しむあれこれであるので、ぐうのねもぴーのねも出ないのはいうまでもないことである。

まあ、狐の霊がついても犬の霊がついても、とにもかくにも肝要なのは全身の弛緩である。

弛緩には丹田を風船として、吐く息とともにその風船に息を吹き込み、全身に広げ、さらに外に広げ、手足の指先がぴりぴりびりびりとしびれれば正解である。

手足の指先がしびれるぐらい緩めば、全身の氣道は開き、全身の細胞ににくまなく血液が送られているということである。

あとは飯をたらふく食えばこの世は天国極楽である。

やっぱりそこかよ。

ううむ、武漢閉鎖かよ、日本閉鎖しないといわゆるパンデミックかね。

いずれにしても、病気になったら気功でもなくヨガでもなく密教でもなく魔術でもなく祈祷でもなく瞑想でもなく、医者が第一である。

まあ、いいや。

いいのかよ。

ぺちぺちくん29・お姉さんの歩きスマホ

気功の穴・象気功

先日、車を運転してたら、おねーさんがスマホをみながら自転車で大きな交差点の横断歩道を軽やかに横断したのである。

いまどき歩きスマホでもこれだけ社会問題になってるのに、さらには自転車のスマホで死亡事故があったのもいわばつい最近のことであるし、アウトローでもヤンキーでもおかしい人でもない見かけは思いっきりふつーのおねーさんがなんの躊躇もなく交差点で歩行者に交じって明るく自転車スマホであるので、いやはやしかし、風体見かけと関係なく、バカはどんなところにもいるもんだと感心したのである。

そういってるあたしも歩いてるときにメールやラインが来るとうっかり見てしまう時があるので、「おう、これはいかん、バカの仲間入りだ」と感心するわけであるが、「感心する」という言い回しがこのさい正しくないかもしれないのはあっちに置いといて、つまりはスマホを持ってるとどーしても見てしまうので、お外では基本的に電源を切っておけばいいわけである。

「アホか、それじゃ携帯電話の意味がねーだろ」というご意見ももっともであるので、無理な話かもしれないが、自分が加害者になってニュースで実名報道でバカをさらさないためにはいたしかたないかもしれないのである。

もっと、簡単なのはかかってきたら立ち止まる習慣をつければいいわけである。

そんなことはどんなのーなしていちのーのまぬけでもわかることだし、これ、なにひとつ目新しい情報がないので、もう終わりにしたいのであるが、もう少し尺が欲しいので、なんかないかなーと考えてもなにもないので、終わり。

先生、オチは?

あるわけねーだろ。

まあ乱暴ね、でもそーゆーところがたまらないわ。

たのむ、もう許してくれ。

ぺちぺちくん28・霊能者のおばさんにナンパされる

気功の穴・象気功

なんといってもこの世はあれこれの利害関係でなりたっているので、なかなか言いたいことも書きたいことも規制があるわけである。

あちらを立てればこちらが立たずということで、どこに支点を置いていいのか迷うわけでるが、まあ、本来はこれに金が絡むので金の多い方に行けばいいわけである。

しかし、この漫画には金が絡んでいないので、どこに支点を置くかというと、ひたすら信者の良識ということになるわけである。

それではこのネタはもうすでに支点を間違えているではないかということであるので、没ネタにするのが妥当ではあるが、描いちゃったからにはアップするわけである。

まあ、たとえば、あたしはダンサーになる前に太っていて、よくほもの人と間違われてナンパされたのであるが、これをまっこうからネタにすると、ほもとでぶの両方におこられるのである。

だれがダンサーだ。

まいどの意味の分からんダンサーボケには誰も反応してないから字数の無駄であるのはいうまでもないことであるが、今書いてることすべてがある意味すでに「ネタとして無理」の範疇に入るわけである。

さらに言うと、霊能者と言い張るおばさんにも駅のベンチに座ってたらナンパされたことがあるのである。

自分で作ったと思われる木綿系の気持ち悪い服着た見ず知らずのおばさんが寄ってきて「あなたの前世は漢方医で薬草を集めてましたよ」なんて、お花畑で電波の花つんでる目をして言われると思わず「しっしっ」と追い払うわけであるが、それ以来、手作り木綿系のおばさんが大っ嫌いになったのである。

もちろんこのネタは全国のスピリチュアルおばさんとおばさんといわれたくないおばさんを敵に回すわけであるので、女性信者が極めて希薄な象気功としてはさらに致命的な傷を負う可能性もあるわけである。

このように深謀遠慮の結果としてこの漫画は制作されたわけであるが、行きあたりばったりのてきとーな思い付きといえばその通りである。

自分でも何を言ってるかわからなくなってるのであるが、ううむ、まあその、自分の首をしめてるかね。

ぺちぺちくん27・夢は漫画家

気功の穴・象気功

まあ、フジの日曜夕方のアニメを見たことがないということもあるが、ネタではなく、元の絵を見ないと本気で描いてこんなもんである。

どらえんもんやアンパンマンも同様の仕上がりになると思うが、ワンピースやコナンやポケモンとなるともう完全にギブアップで、姿かたちすら思い浮かばないのである。

まあ、べつにこの先漫画家になろうてな希望も予定もあるわけもなくて、フードコートでめしの後にまったくの暇つぶしで描いたりしてるわけであるので、これから絵のお勉強をして上手い絵を描けるようになろうなんて気はさらさら持ち合わせていないわけである。

もちろん、この先もこの程度の絵でご機嫌をうかがうわけであるが、どうか長~い目でみまもっていただきたいと思う今日この頃である。

まあ、とにもかくにも、氣をいじくり過ぎてクンダリニーはもちろんのこと全身のあちこちのチャクラが暴発して、4年も寝たきり生活で短い人生の大事な時間を無駄にしたあたしの能力がこれである。

だから、尾てい骨が開いて赤い蛇がおつむからこんにちはしようが、どこそこのチャクラが開いて電波のお花畑になろうが、具合が悪くなることはあれ、なんのよろしい効果もないのはあたしが保証するのである。

まあ、やりすぎてもよろしいことはないが、しばらく寝たきりにはなれるのである。

さらには、救急車で運ばれて脳を検査した先生に「某なんとか膜の血管が切れてる、なんだかしらんが、バカなことをすると障害が残るぞ」と怒られたのである。

いい年したおっさんになって怒られたりしないためには、象気功タームの「やらないよりはマシ」が合言葉である。

ぺちぺちくん26・金運と災難運はセットである

気功の穴・象気功

まあ、金運と災難運はだいたいセットであるので、仕事が当たって金が湯水のごとく入ってきて栄耀栄華の暮らしでご満悦でも、いきなり事故や災難やお病気でおっちんでしまうことが多々あるのである。

どんなに金があっても、事件事故災難病気は向こうから勝手にこんにちはするのである。

100歳以上のご長寿者のインタビューなんかを聞いてると、たいていはなんにもしてこなかったビンボー人の皆さんである。

巨万の富の持ち主で100歳以上のご長寿というのは、まあ、いないではなかろうが、あたし的には聞いたことがないのである。

逆にビンボー人で100歳以上のご長寿者にはなんどもお目にかかってるのである。

現にうちの町内会にも8人も100歳以上のご長寿者がいるが、全員みごとなビンボー人である。

つまり、もちろん多少の例外はあっても、ビンボー人イコールご長寿というざっくりとした公式が成り立つわけである。

このように、ビンボー人がたいした災難事故病気にもあわず、へろへろとご長寿であることも多々あるので、大金持ちで早死にか、ビンボー人でご長寿かは、まあ、その人の趣味であるが、あたしはそこそこのビンボー人で120歳まで生きることが希望である。

あたしの場合はもちろんすでに立派なそこそこのビンボー人であるので、あとはご長寿だけである。

そのためにはとにもかくにも健康であろうから、氣のあれこれをこれでもかと極めようと馬鹿丸出しであれこれしたわけであるが、その結果ご存知の通り暴飲暴食しても元気にまだ生きてるので、健康状態はおおむね良好で、気功を正しく理解すればその効果さもありなんというあれこれである。

しかし、事件事故災難病気は頑健な肉体であろうが清廉潔白の人であろうが大金持ちであろうが、いきなりやってきて無差別に人生の終わりを告げるのである。

そうである、金でなんとかならんものもあるわけである。

ううむ、てきとーな思い付きとはいえ、この漫画は実に奥深いのである。

寿命は本人の思惑とは無関係に、まったくの成り行きまかせである。

ならば、食いたいもんを食いたいだけ食おうではありませんか。

だから、そこから離れなさいって。

ぺちぺちくん25・昔の漫画の描き方

気功の穴・象気功

昨日これをフードコートで描いてる写真をツイッターにあげたので、ネタバレの人もいるわけである。

まあ、それはともかく、漫画を描くには、以前はケント紙か上質紙の原稿用紙と製図用MONOてな鉛筆とタチカワのGペンとベタ用の筆と製図用インクとロットリングと烏口とサインペンと製図用MONOてな消しゴムと羽ぼうきと修正用のポスターカラーのホワイトと修正用の筆と絵の具と絵の具用の筆とパレットと筆洗と製図版とトレース台と定規と月に1万5千円のリース代のかかる某リコーのコピー機と背景用の写真撮影のためのカメラとそれからなんだかわからんもの多数が必要であったわけである。

しかし、これが安いタブレット一個あれば、場所を選ばずどこででも描けるのであーらびっくりねである。

端末がウインドウズであれば、商業誌用にプリントアウトできる某ジャンプ用無料アプリまであって、データを編集に送ればいいわけであるから、自分ではプリントアウトさえ必要なかろうし、しばらくぶりに漫画を描いたらとんでもない変化に驚きである。

さらには、背景にしたいどんな場面の写真もたいていはネットにあるので、たとえば警察署を描こうてなときに、近くの警察署に写真を撮りに行って、バチバチ撮ってたら入口に立ってるのおまわりさんが飛んできて、署内に連れ込まれて、過激派扱いで事情聴取されるなんてこともなくなったわけである。

まあ、それはそれで、あたしとしては警察署の内部が見れてよかったわけであるが、いずれにしてもこの先は商業誌も紙媒体は消滅して、電子媒体だけになるだろうから、画風を意図的に紙で描いたようにしたい場合以外は紙に書くことはなくなるかもしれないのである。

まあ、とにもかくにも、LGBTの皆様にいかなる偏見もございませんのは言うまでもないことである。

ぺちぺちくん24・登山をするよ

気功の穴・象気功

まあ、なんである、あたしも一時期に山登りというのか山歩きというのか、あちこちの山を登ったり歩いたりしたのである。

しかし、生来の負けず嫌いが災いして、前に人がいると何が何でも追い抜かねば気が済まないので、自然を満喫どころではなくて、頂上に着くころには疲労困憊である。

それで、ぜんぜんおもしろくなくておやめになったのである。

それでも、いくらなんでも冬季の富士山に登るなんて馬鹿なことは考えも及ばなかったのであるが、これを生放送のネタのためにやって滑落して、その滑落する寸前までの様子を生放送して、そのゴロンゴロン落ちてくる様子を撮ってた人がいて、それもアップされて、いやはやすごい時代である。

アップされたつなみの映像といい、少し前なら見られなかったような映像があれこれ見られるわけであるが、しかし、これ、生まれた時からこの環境で育った子供はいったいどうなるんだろうかと思う今日この頃である。

できたての脳を強烈なインパクトの映像でかきまわされるわけであるから、精神状態がいったいどの方向に行くのか、空恐ろしいような気もするが、それはそれでふつーになってしまって、何も変わらないかもしれないのである。

また、ネットでなんでも簡単にどこまでもわかるわけであるから、IQの高いものはとんでもない知能になる可能性もあるわけである。

まあ、あたしらぼんくらはそんな環境でもげーむやえろどーがにいそしむぐらいで、ろくな利用もないわけであるが、それもこれも神の思し召しであろうから、ありがたく享受して日々の楽しみといたしたいところであるうううもうすこしなんとかならんのかねしかし。

てなことでひとつ。

なんの情報なんだこれ。

象気功は「何の役にも立たない気功法」というのが売りである。

しらんがな。

でたよ。

ぺちぺちくん23・近所の葬式の告別式に行ってきた

気功の穴・象気功

あっという間にぺちぺちくんも23回めであるが、まあ、このように、時というものは一瞬たりともとどまることなく前に進むのである。

なにごとも考えているうちに時のかなたにかすんで、気が付くとひとりで波のまにまに漂っているわけである。

師匠、またてきとーになってますよ。

すまんすまん、気を抜くとつい気が抜けてしまうんだよ、はははは。

情けなくて死にそうなクオリティである。

まあ、なにもないときはないので、てきとーにキーボードを叩いてすますわけであるが、それもめんどくさいので、なんかネタはなかろうかとニュースを見てもあたし的にはどーでもいいことばかりで、さっぱり書くことがないわけである。

ああ、そうだ、今日の昼に、近所の葬式の告別式に行ってきたのであるが、一般会葬者の席に3人しかいなくて、焼香台の内側の親戚の方が多いので、ある意味恥ずかしかったのである。

まあ、たいていの人が通夜に来てしまうので、告別式はこんなことが多々あるわけであるが、読経が始まってしばらくしたら、何人か来たのでああよかったてなことである。

引き出物は日本茶3缶だから1500円かね。

ううむ、さらにどーでもいい情報である。

最近は葬式をやればいい方で、家族葬というの名の葬式やらない派が多くなって、以前ほど頻繁に葬式に行かなくなったのであるが、めんどくさいのでいっさいなくなればさらにいいと思うのはあたしだけではないかもしれないのである。

葬式は坊主と葬儀屋が儲かるだけであると思うが、敬虔なる仏教徒で某宗護持会役員のあたしとしては葬儀屋はともかく坊主の生活も考えにゃならんし、いっさいがっさいなくなると世話人の新年会で酒が飲めなくなるのでそれはひじょーに困るのである。

やっぱり、そこかよ。

ぺちぺちくん22・おまわりさんに緊張するあたし

気功の穴・象気功

まあ、子供のころはおまわりさんといえば「やさしいおにーさんおじさん」とゆー感じの記憶であるが、大人になるとおまわりさんというと「目が合うとヤバイ」という感じの記憶に変化するのである。

別に悪いことをしてるわけではないのに、空港などで前方から歩いてくるとなんとなく目をふせてかかわりのないようにしようとするのである。

あたしはショッピングセンターなどでも制服のガードマンが歩いてくると、同様に無意識に目を合わせないようにしようとするのであるが、制服がおまわりさんのを真似してるので、脳では条件反射的に注意警報が鳴ってしまうわけである。

日本のおまわりさんはおべーこくのように気軽にじゅーで犯人をおうちころしになれないので、ときどき現行犯の犯人にも思いっきり逃げられているわけである。

しかし、おわまりさんがうたなくてもいい社会はやっぱりよろしい社会であるなあと日々感涙にむせんでウソ泣きしてしまうぐらい日本てなものは水と安全はただみたいなあれこれである。

でも、ゴーンさんにいとも簡単にトンズラされてしまうのもいかがなものかと思うが、まあ、いくらなんでも保釈金15億円をほったらかして逃げるとは思わなかったわけである。

保釈金150億円でもトンズラしたかね。

2300億円持ってるてな話もあるので、おそらくトンズラしたろうね。

トンズラって豚がズラかることかな。

ああ、遁走か。

ううむ、どーでもいいのである。

だから、馬鹿は金がないのである。

うるせーよ。

ぺちぺちくん21・適正範囲のデブは健康長寿

気功の穴・象気功

日本全国のデブを敵に回す気はもうとうございませんが、まあ、昨今の研究では多少デブぎみの方が長生きであるということであるので、適正範囲のデブは健康長寿の合言葉であるわけである。

あたしはダンサーという職業柄、太るわけにはいかないので、常にダイエット状態で、ご存知の通り昼飯も2人前を上限に厳しくコントロールしているわけである。

だれがダンサーだ。

はいはい。

信者はご存知の通り、それでも昼飯にうっかり3人前を食ってしまって地団太を踏んで悔しがることもあるわけであるが、考えてみればべつに悔しがる理由はまったくないのは言うまでもないことである。

食ってうまかった分お得なだけであるが、ダンサーとしてのスタイルを保つことが、この世のお役目さらには人生の目的とさえなっているので、やはり太ることに罪悪感がないではないので、うっかりミスとはいえ、馬鹿丸出しを深く悔いるわけである。

だから、どのつら下げてダンサーだといってるんだ。

はいはい、わかったわかった。

このような罪悪感あるいは後悔あるいは反省てなものは、運気を下げる重大な要素であるので、これをなくすことがこれからのあたしの人生を決定する大きなうねりとなるわけである。

どんなうねりになるのか、うねってみなけりゃわからんわけであるが、あまりにもてきとーすぎて先が続かないので終わり。

反省しろ。

ぺちぺちくん20・大衆芸術の才能の有無は理解者の数

気功の穴・象気功

まあ、もうだいぶ前の話になるが、吉田戦車さんの漫画がさっぱりわからんという気功仲間のおっさんがいたのである。

そのおっさんは学歴も立派で、社会人としてもそれなりに地位のある人であるから、記憶力も理解力も判断力もそれなりであると思うが、あたしが面白がる吉田さんの漫画は、そのおっさんにはまったく理解不能であるわけである。

作者の意図が人によってはまったく伝わらない場合が少なからずあるわけであるが、これをすべての人にわからせようと思うと、逆にものすごくつまらんものになるのである。

だから、面白いと思う人に向けてこれでもかと創作するのが正しい方向性であると思うが、その面白いと思う人が少ないと職業としては成り立たないのである。

だからクリエーター、特に大衆芸術の才能の有無は理解者の数ということであるという面もあるわけである。

いずれにしても、それもこれも感性の問題であるので、本人の意思や思考とはあまり関係ないので、直しようもないわけである。

しゃーないしゃーないである。

こんな話のどこが面白いんだ。

今日の客はしぶいな。

ぺちぺちくん19・すべらない話

気功の穴・象気功

まあ、たしかに最近は見たいテレビ番組もなくて、あたしの場合はほとんどお笑いばかりである。

そのお笑いも誰か親切な人がネットにアップしたものを見る場合も多々あるのである。

ネットのいいところは時間にしばられずに、好きな時にみれるということでもあるわけであるが、そうかといってユーチューバーのお笑いのネタを見るということではなく、テレビで放送したものをアップしたものを見るわけである。

昨今は映画も映画館にいくわけでもなく、ビデオを借りてくるでもなく、無料有料も含めてネットでみることになってしまったのである。

無料のものでは、日本での公開前に相当早く見ることができるのであるが、ちゅーごくでアップされたものが多くて、画像が荒い上に字幕がむちゃくちゃで、さらにはニコ動同様に画面上部にちゅーごく語のコメントが流れていたりして、あらいやんということも多いのである。

それでもまあ、わからんことはないので見るわけであるが、いずれにしてもだいたい5分見てつまらんものはそれで終わりである。

これはこれまでの人生の数十年間の映画ご鑑賞の経験で、5分見てつまらんものはどうやってもつまらんということがよ~くわかったからである。

でも、評判のいいものはそのうち面白くなるだろうと思って、短い人生の2時間なにがしかの時間をドブに捨てることもあるのである。

「マレフィセント2」はプロローグから無理やりな展開であちゃちゃと思ったが、アンジェリーナ・ジョリー演ずるマレフィセントのファンであるので、最後まで見て、ドブに捨てたのである。

しかし、それでも「マレフィセント3」もお願いしたいのであるが、その熱烈なアンジーファンであるあたしも「ソルト」はがまんしてがまんして10分でギブアップで、筋立てもわからんのである。

邦画では「引っ越し大名」のできがなかなかよろしくて最後まで見てしまって、星野源ちゃんがなんで売れてるのかもよくわかったのである。

もちろんこれはあたしのツボにはまるかどーかということであって、どなたの基準にも当てはまることではないのはいうまでもないことである。

どーでもいい話だけしかねーのかよ。

ねーのである。

じゃあ、しょーがない。

ぺちぺちくん18・正月に鎌倉駅でキセル扱いされる


正月に初詣に行ったときに、江ノ電の鎌倉駅構内で鎌倉にお住いの知人と待ち合わせのため改札をパスモで入ったのである。

しかし、知人が来客で遅れて、1時間ほど構内のベンチで暇をつぶしたのであるが、まだ来ないので外でお茶でも飲んで待とうてなことで、改札を出ようと思ったら、自動改札でパスモがピンポンとなって出られないのである。

それで、駅員のいる窓口に行って「さっき入ったが、都合で外に出たい」と言ったら、制服の眼鏡のにーちゃんがパスモを調べて「これ、入ってから1時間も経ってますよね、どこまで行って来たんですか?」とすごい剣幕で詰め寄られたのである。

「いや、知人と待ち合わせで、あそこのベンチに」と説明したが、さらに血相変えて声も張り上げて「1時間もそんなはずはない、どこまで行ったんですか?」の一点張りである。

めんどくさいので「じゃあ、全線分往復で引いてください」と言ったら急に丁寧口調になって「けっこうです、お通り下さい」とパスモを返してくれたので、あーらびっくりねとがっかりしたのである。

まあ、さらに事務所に連れていかれて、駅員に囲まれて取り調べになったら実におもしろい正月になったので、まことに残念といえば残念であるが、そのあとすぐ知人が来たので、にーちゃんがさらにヒステリーを起こしてもそれ以上には楽しめなかったわけであるので、これで正解であるわけである。

まあ、江ノ電には無人の改札の駅もあるので、その手のキセルが多々あるのかもしれんが、全線分往復でも620円であるので、子供ならともかく、あたしみたいないい年のおっさんがそんな金額でバカなことをするとも思わないのがふつーであろうが、にーちゃんにはあたしの風体がそうとう怪しく見えたのかもしれないのである。

このように、本人の思惑とは関係なくいろいろなことに巻き込まれるわけであるので、おもしろいといえばおもしろいが、何があるかわからんのが人生でありこの世であるわけである。

まあ、たとえばあたしは10代20代のときにオートバイに乗っていたこともあるので、そのころの乱暴狼藉危険極まりない日々を考えると、今生きてることさえホントに不思議であるが、生きるべくして生きて、そのうち死ぬべくして死ぬわけである。

つまり、生きるときはなにをしてもしなくても生きるが、死ぬときは何をしてもしなくても死ぬのである。

この世はすべてが法則で成り立っており、すべてはすでに決定されているのである。

やっぱり無神論者はこーでなくちゃいけませんやね。

しらんがな。

ぺちぺちくん17・国会議員に立候補


まあ、なんである、漫画は描いてるときがいちばん楽しくて、これをアップしてしまうとテンションがだだ下がりである。

神のお告げでネタはいくらでも出てくるので、永久に描き続けたいわけであるが、おまんまを食うためにお仕事をしなければならないので、そうもいかないのがこの世のことわりである。

まあ、それで、なんで楽しいのかをつらつら考えてみるに、編集からのあーせいこーせいのしばりもないし、誰にどー思われようがしったこっちゃないし、もちろん報酬も発生しないわけであるので、つまりは子供の頃の落書きであるからである。

子供の頃は誰に見せるわけでもなく頼まれもしないのに授業中でもノートの端っこや教科書にもせっせと描いたりしてお楽しみになったわけであるので、落書きはいわば人間の素描欲求の原点であると言えるかもしれないのである。

ラスコーの洞窟壁画もそんな素描欲求の発露であるかもしれないわけである。

とはいっても他人の家の塀や店のシャッターなどに落書きするのは犯罪であるので問題外であるが、バンクシーさんのようにアートであると認められれると話は変わってきて、落書きを切り取って展示されたりするのである。

ダビンチさんもものすごい執念で報酬のための効率と時間を度外視して、実際の色を出すために15回も塗り重ねてお描きになっているのは、その追求が楽しくてやめられなかったからであろうから、ある意味落書きであったのかもしれないのである。

まあ、どーでもいい。

ウクライナの旅客機墜落はいらんのごしゃというのはほんとかねしかし。

まあ、べーぐん80名しぼーがいらんがわのガセであるから、これもとらんぷさん得意のガセであるかもしれんが、事実ならおなくなりになった176名の皆さんにはエライめーわくな話である。

いずれにしても、運命は避けようもなく、あたしらが歩くたびに微細な生物を数十数百数千と踏み殺して歩くように、神は容赦なく、なんの前触れもなく、なんの罪もないお子様も含めてあたしらを一把ひとからげにおふみころしになるのである。

ならば明日のことは明日考えることとして、今日も食いたいもんを食いたいだけ食おうではありませんか。

そっちかよ。

ぺちぺちくん16・夢はユーチューバー


このおママンがで始めたタブレットに指でマンガを描く指マンは実に便利で、フードコートで昼飯の合間に描いたりすることもできるわけであるが、なにしろ指マンであるので、文字を書くことさえ不自由で、絵に至ってはこれがひどいクオリティであるので、いくらおママンがのコンセプトがてきとーいいかげんでも、アーティストとしてのあたし的には忸怩たるものがあるわけである。

だれがアーティストだ。

しかし、これに慣れてくると、クオリティはともかく、ほかの方法で描くのはめんどくさくてできなくなってしまったのである。

ペンや筆で書くことも最初は鉛筆を持つことから初めて、相当長い訓練を経てまともなものが書けるあるいは描けるようになるわけであるので、指マンも極めればさらに高度な描画ができるようになるかもしれないわけであるが、それもある意味無意味であるので、どーでもいいわけである。

なんでもかんでもどーでもいいというのはもしかすると問題があるかもしれないが、どう考えてもどーでもいいことだらけで、何がどーでもよくないのかもどーでもいいのである。

えーとなんだっけ?ああそうだ、80人しぼーはイラン側のガセだったらしく、ロンドンもニューヨークもトーキョーも安どしたのか株価は戻って、まあ、さらなる日経暴落期待のあたしとしてはこれも喜んでいいのかどーなのかビミョーなところであるが、まあ、とにもかくにもなによりであるのはいうまでもないことである。

結局、トランプさん的にはそれもこれも想定内で、ゆーこと聞かないいらんと、おべーこくほんどまでとどくみしゃいるでいきがるじょんうんさんに向けての、ゆーこと聞かないといつでもドローンがピンポイントで飛んでくぞというおどしも含めてのあれこれであったわけかもしれないのである。

いずれにしても一般霊能者のあたしらにどーこーできる筋合いのものではないので、象気功タームの成り行きまかせであるのはいうまでもないことである。

まあ、こーゆーときには、きまって自分の念力でせかいたいせんが回避できたなんて都合のいいホラを吹くパ~もおられると思うが、まあ、それはそれでお楽しみとするのもどーでもいいのである。

ううむ、何か心にしみる後書きを書きたいもんであるが、なにしろろくでもない人間の代表としてはこんなもんであるがどーでもいいかもしれないのである。

日本語になってないのである。

ぺちぺちくん15・ダジャレは笑いの基本


まあ、ダジャレをオヤジギャグなんてことをいって忌み嫌う人もおられるが、駄洒落や江戸の洒落としての地口は古典芸能である落語の笑いの基本である。

また言葉遊びの原点はダジャレや語呂合わせであるといってもよかろうと思うのはあたしだけではないと思うのである。

また吉凶を判断するにも、4を死、9を苦に結びつけたりして、いわばダジャレであれこれ避けたりするわけである。

ホテルや病院なんかによっては4階や9階がないなんて科学万能を標榜する現代においてはある意味馬鹿げたことが大真面目に行われているわけである。

これが神社などでも鬼門の方角に猿の置物を置いて「鬼が去る」てな冗談としか思えないダジャレ語呂合わせである。

しかしこれを非科学的だの迷信だのと言う気は更々ないのは言うまでもないことである。

落語における駄洒落や洒落が文化であるように、ダジャレ語呂合わせによる吉凶も文化であるのは当然である。

てなことでこじつけてみたわけである。

こじつけかよ。

ぺちぺちくん14・ふざける人々


まあ、このおママンが自体がふざけてるだけっちゃふざけてるだけであるが、実生活ではふざけてる本人は楽しくても周囲はものすごく迷惑である場合がほとんどである。

ふざけるのはドーパミンがいやでも出まくるお子様やごくごくお若い時の特権みたいなもんで、あたしらおっさんになるとふざけるのもめんどくせーのである。

それでも時折、御神酒の力を借りてご陽気になって馬鹿丸出しの醜態をさらすこともあるわけであるが、覚めた時の落ち込みようったらないのである。

酒の時の記憶はないなんて言い張る御仁もおられるが、あたしの場合は、平時の記憶障害とは打って変わって、たいていの場合、行動言動を逐一覚えているのである。

翌日になると、昨夜の行動言動の情けなさにおじさつなされたくなるときもあるので、昨今は御神酒をお召しになって怒涛のドーパミンが出ても、ぐぐっとこらえて沈着冷静を装う今日この頃である。

それでは御神酒を召し上がる意味がないではないかというご意見もあるとは思うが、それでも飲めば心は陽気であるし、翌日の反省後悔による落ち込みもないので、精神衛生上も実に理にかなっていると勝手にあれこれしているのである。

まあ、あたしの場合は酩酊よりも覚醒が好みであるので、あるちゅーというよりはかふぇちゅーであるが、いずれにしてもドーパミンのおかげでご陽気になるので、昼も夜も、ある意味ふざけて生きてるわけである。

オチを考えるのがめんどくせーのでおわり。

ふざけるなよ。

ぺちぺちくん13・人によって物事は見え方が違う


いやはや、今年もあっという間に6日であるが、まあ、べつに何日でもたいした違いはないので、世間話のていである。

ううう、意味がわからん。

人間てなものはどなたも多少のずれがあって、本人は正常と思っても、はたから見るとひどくずれてる人もいるわけである。

つまりはものごとが人それぞれで見え方感じ方が違うわけである。

同じものを見ていても見え方がちがっているということが理解できるとかなりこの世が理解できるのであるが、まあ、わからないからこれだけ文化文明科学が成熟してもあれこれ争いがおきたりするわけである。

あたしから見るとそうとう変な人がいるわけであるが、つまりはその人から見るとあたしがそうとう変な人であるわけである。

これは数の多い方が常識となるわけであるが、場合によっては非常識の方が多ければ常識が非常識になるのである。

たとえばあたしの口癖の「当たり前」ということについても、大勢の人がだいたいこーだろうということを当たり前と称しているわけであるが、もしかするとあたしがそう思ってるだけで、実際には当たり前でないのかもしれないのである。

たとえば中東の国にいけばあたしの当たり前はまったくのとんでもないことであるかもしれないのである。

でもまあ、気功やヨーガや密教や神道やわけのわからん宗教やカルトのカリキュラムで、超人になれるとか神に近づくてなことがまったくないのは当たり前であるし、そんな人には会ったことがないのである。

しかし、自分は超人だの神人だの霊能者だの前世が見えるだの未来が解るだの空中浮揚ができるだの魂の浄化だの昇華だのと言い張ってるほら吹きか詐欺師か脳の壊れたくるくるパ~には何度かおめにかかったことがあるのである。

日本中のバカを敵に回す気かよというご意見もあろうと思うが、あたしゃごくごく当たり前ことしか言ってないのである。

ぺちぺちくん12・あな恐ろしや


このように神はしもべであるあたしらを自由自在にあれこれさせるわけである。

いわばあたしが描画するごとく、神によってそのように作られそのようにさせられるのであるから、抗いようもなく一生にわたっていろいろと考えられないような馬鹿丸出しな行いをするわけである。

あな恐ろしや。

とはいっても、そのように作られるのであるから、「そのよう」がいろいろで、もちろん中には清廉潔白な人生をつつましく送られる人もおられるわけである。

しかし、それもこれもそのように作られそのようにさせられるのであるから、食欲せー欲金欲満タンでへへへへへへと笑う人格霊格地上最低のあたしと大差はないのである。

へへへへへ。

キモイとはなんだコラ。

楽しんでいただけましたでしょうか。

楽しめるかボケ。

これ、目的はなんですのん。

そんなもんあらへんがな。

いいかげんにしなさいっ。

しっつれいしました~、ほなさいなら~。

あかんがなこれ。

ぺちぺちくん11・とりあえず生きてることはいいことだ


1月5日の予定を一日早めての初荷であるが、まあ、なんだ、新年明けまして大変めでたいのかどーなのか、これを書いてるそばから、うちの前の道を救急車がサイレンを鳴らしながら行き過ぎて、ああ、どこぞの家では正月三が日明けから不幸のどん底ねなんてことで、やってみなけりゃわからんのが人生である。

とにもかくにもとりあえず生きてることはいいことだということで、象気功は今年もてきとーいいかげんなりゆきまかせをもっとーに、なるようにしかならん人生を流れのままにどんな状況にも水のごとく形を合わせてぬるぬるぬらぬらむらむらと行くわけである。

新年一発目からシモネタかよというツッコミをさらりと受け流して、悩んでも悩まなくても結果が同じなら、お気楽極楽であきらめが肝心かなめのあれこれの極意であるてなことをいつも言い張ってるわけであるが、そうもいかないのがこの世のしがらみ行きがかりであるのもわかっちゃいるけどやめられないわけである。

いつものごとく内容がまったくないわけであるが、そこはそれ、象気功信者のために必要とあらば身も心も投げだす気持ちはさらさらないのである。

ないのかよ。

まあ、今年もそんなことでひとつ。

ううむ、人間は人を笑わせてなんぼであるが、怒らせるのは簡単だが笑わせるのは難しい。