海のバカヤローッ・ぺちぺちくん146

象気功

海に行くとバカヤローッと叫ぶのは大昔の映画やテレビドラマの影響であると思うが、実際に海でバカヤローッなんて叫んでると地元のヤンキーが集まってくるのである。

集まってくればカツアゲされるかボコられるかダッシュで逃げるかの三択を迫られるわけであるが、腕力に自信があればスパーリングができるのである。

しかし、昨今はユーチューブの影響であれこれ格闘技に勤しんでるヤンキーもいるので、生兵法はなんとやらでろくなことにならないのである。

ああ、そうだ、若気の至りで真冬の厳寒の最中に海で泳いだことがあるのである。

真夜中に男三人で熱海の海岸にドライブして、何もやることがないので、とんでもない寒さの中でパンツいっちょになって泳いだのである。

バカである。

心臓麻痺を起こす実験みたいなもんである。

幸い三人とも何事もなく済んだが、誰かが倒れれば救急車を呼んで大騒ぎである。

若い時はそんなことはつゆほども気にならないので、無茶のし放題である。

ときどきニュースで若者が川や海で溺れてお亡くなりになるのは、若気の至りで後先を考えない無茶をしてる場合が多いんじゃなかろうかと思い当たるのはあたしだけではないかもしれないのである。

熱海の海といえば当時は臭っさい海で、言ようのない臭気が鼻をついて、その中を素潜りで5メートルぐらい潜って溺れそうになって水をたらふく飲んだりしてたが、腹を壊すこともなく元気だったのはなんでだろうと思う今日この頃である。

まあ、海といえばこんなことかな。

楽しい思い出よりもろくでもない思い出の方が印象に強く残っているのが人生の綾である。

綾であるからもちろんあやふやである。

わいるどだぜい・ぺちぺちくん145


象気功

まあ、このおままんがは基本的にタブレットに指で描いてるのであるが、たまにはデジタルペンで描いてみようと思ったわけである。

それでアマゾンでいわゆるスタイラスペンと某ELECOMの誤動作防止機能付きの手袋とを買って、意気揚々と描き始めたのである。

ところが画面に手が触れたとたんにおもいっきりの誤動作で、どうやってもこうやっても描けないのである。

それで、しょーがないので手を浮かせて描いたらこんな漫画になったわけである。

それをアップするのもどうかと思うが、まあ、いちおうアップするわけである。

もちろんタブレットがちゅーごく製であるところに問題の大半があると思うが、あたしはアンドロイド派であるので某iPadを買う予定はないのである。

まあ、絵のレベルが上がったからと言って漫画が面白くなるわけでもないので痛しかゆしであるが、ううむ、しかし買おうかな、安いし。

漫画を面白くするにはなんといっても「真剣に描く」ことであるが、何事も「やらないよりマシ」をもっとーとして、てきとーいいげんを旗印に脳機能のままに人生を送らんとするあたしとしてはううう飽きてきた。

まあ、あたしとしては人生を最大60%ぐらいの出力であれこれしようとしてるわけであるが、それでもときどき本気を出してしまうので、車のエンジン回転数制御のようなリミッターをつけたいぐらいである。

この漫画の場合はおおむね30%ぐらいの出力であるので、象気功の基本的な方向性にみごとに沿っているわけである。

しかし、こんなものを読ませられる方はたまったもんじゃないと思うが、そこはそれ何事も修行であるので、この見事にいいかげんな漫画から何かを学び取って頂くのが象形流気功法宗家象師匠としての務めである。

無理だろ。

運気上昇のリラックス・ぺちぺちくん144

象気功         

人間の意志なんてものはどんなに強く決心しても、何かあれば簡単に変わってしまうということを言いたかったのであるなんてことは言いません。

言わないのかよ。

ていうよりこんな低クオリティの漫画をアップしてよいものだろうかと思うが、まあ、ものは試しで公開してみるのである。

じゃあ、まともなものを描けばいいじゃんというご意見もあると思うが、やだぴょ~んである。

こんな人間に誰がしたといわれてもお答えのしようもないが、やはり作品はどんなに手抜きでも人間性が出るのである。

手抜きかよ。

なにしろものごとを全力で行わないというのが象気功の基本原理であるから、漫画だってその原理にかなうようにあれこれするわけである。

もちろんどんなに手抜きの漫画でも描けば右脳も左脳もフル回転であるので、脳細胞の活性度はいやがうえにも上がり、氣の精進の一環としては実に効率的である。

あくまでも手抜きかよ。

まあ、昨今のあたしの人生自体が手抜きといえばいえるが、氣の奥義を極め、力を抜くこと、緩めることが氣の王道であると喝破した象師匠として、あくまでリラックスを旨としてさらなる全身の血流を促し、全身37兆個の細胞の再生メンテナンスを快調に行うわけである。

リラックスとは緊張の反対である。

緊張は血流を阻害し血管によろしくない影響を与えるのは象気功信者には周知のことと思うが、現代生活においては仕事はもとより、道を歩くだけでも緊張することばかりである。

それでも運気は血流から醸成されるものであるので、運気を上昇させるにもリラックスは重要である。

精神的リラックスを得るためのもっとも簡単な方法は力を抜くことである。

緊張がよろしくないということを知ってるだけでも、知らないとはえらい違いであるので、とにもかくにも力を抜いてデレデレ生活することをお勧めするのである。

運気を下げる諸悪の根源は緊張による血流の阻害である。

もちろん、力を抜いて血流が改善したからといって劇的に運気が上昇するわけではなく、まいどの通り「やらないよりマシ」の効果であるのはいうまでもないことである。

それでも下がるよりは上がる方がいいに決まってるのである。

当たり前である。

象気功は当たり前のことしか言わないのである。

芸術家の心情・ぺちぺちくん143

象気功

これじゃますます人気は下降線だなんて言ってるやつは誰だ。

ああ、あたしだ、描いた本人だ。

4コマ漫画には起承転結てな古典的な構成があるわけである。

起承転結は文字通り、ものごとが起きて、それを承けて思わぬ転回があって、なんだそうだったのかーという結びになる構成である。

これは4コマ漫画に限らず物語の構成としておもしろおかしく読ませるための構成であるが、そこからできるだけ離れたいのもあたしら芸術家の心情である。

誰が芸術家だ。

だからといって、今回のネタのように読者の予想の範疇をはるかに飛び越えて支離滅裂な展開にするとある意味おじさつ行為である。

なぜじさつがひらがなで、さらに「お」まで付けてるかというとそこはそれグーグルに気を使ってコンプライアンスを意識してしまっているわけである。

このようにNGワードを厳しく守るのがあたしらプロの漫画家の習性であるが、べつに稿料が出るわけでもないブログでそんなことをする意味がないのは言うまでもないことである。

誰がプロの漫画家だ。

言わせてよ~。

えーと、なんだっけ?

終わり。

ひでーな。

終わりと終り・ぺちぺちくん142


象気功

なめとんのかというオチであるが、そーゆうオチである。

男は笑わせてなんぼである。

なに言ってんの?男女差別だし。

しらんがな。

てないつものノリで始まったわけであるが、とくに申し上げることはないのである。

ないのかよ。

ない。

じゃあ、終わり。

終わるなよ

終わりにわの送り仮名はいるのかね。

小学生かよ。

私達の祖先は、中国の漢字を借りて日本語を書き表す方法を工夫してきました。その際に、読み誤らないように仮名を補ってきたのが送り仮名です。従って、送り仮名に絶対の決まりはありません。現代では、国が目安として作った基準をもとにすることが多いのですが、その基準でも「終わり」と「終り」はどちらでもよいことになっています。(広辞苑)

なるほど。

えーと、何かないかな。

ないな。

じゃあ、終わり。

だから、終わるなったら。

ここで一句。

なんだよいきなり。

「秋や秋 秋になったら 秋だなあ」

これはどういう句ですか?

秋になったらしみじみと秋になったなあと思ったときに作りました。

バカなの?

バカで~す。

やっぱりなめとんのか。

まあ、とにかくコーラを飲んで様子をみよう。

ゴクゴク。

終り。

やっぱり終るんかいっ、しかもわの送り仮名が無いし。

なんでもええがな。

ちゃんちゃん。

そこかい。

勘違いしてはいけません、象気功はお笑い番組です。

あーそうかよ、そらよかったな。

でも、ふざけたコメントは即刻削除しますよ。

お前はてきとーにふざけてるだけだろ。

そんなことはありません、人生をかけて真剣にふざけてます。

バカなの?

だから、バカで~す。

公共のネットを使ってふざけるんじゃないっ。

じゃあ、何をすればいいんだ?

役に立つことを発信しなさい。

やなこった。

これ、まだ続きます?

終わります。

まあ、一応アップしてみよう。

人間の本質とは何か?・ぺちぺちくん141

象気功

確かにぺちぺちくんはろくでなしである。

しかしながら、こんなぺちぺちくんにも夢があるのである。

それは「地球上から争いをなくす」という夢である。

うそだよ~ん。

二重三重にろくでなしである。

デルタが感染爆発してるが、本家のインドでは感染力が強いデルタのおかげで国民の多くが感染して、お粗末な医療体制で死ぬものが死んで集団免疫獲得で収束に向かってるということである。

つまり、東京のデルタ感染爆発も都の発表の数倍数十倍の感染者がいるはずだから、本家のインド同様にいつのまにか集団免疫獲得で収束に向かう可能性もあるかもしれんかもしれんのであるかもねである。

これは日本全国でも同様である。

もちろん、東京都の医療が逼迫あるいは崩壊寸前とはいえ、インドとは比較にならない医療体制であるから死者は格段に少ないだろうから、感染爆発も目くじら立てて国や都の失政を非難することでもないかもしれんかもしれんかもねである。

いや、しらんけど。

しらんのかよ。

思い付きの世間話やがな。

そらそうだ。

まあ、それはそうと、これもあたしの思い付きなので根拠もないが、歩くよりも走る方が顕著に眠れるのは、着地の時の衝撃が走る方が大きいために、足の裏の細胞の破壊と修復でホルモンが分泌されるからかもしれんというあたしの勝手な仮説についての話である。

気功用の底の薄い靴を履いて走ると、ドシン、ドシンと足の裏が地面に着くのがよくわかるのである。

走るのに比較して歩いてるときはこの衝撃がほぼ無いのである。

そのせいかどうか、仕事で歩き回ってもそんなに睡眠効果はないが、夕方に軽く走っても睡眠の状態が格段に良くなるのである。

いわゆる運動と労働が違うというのは足の裏の細胞の破壊修復の度合いが違うということかもしれんわけである。

もちろん文献を読んだわけでもないし、めんどくさいので調べるわけもないので、単なるあたしの勘であるから信憑性はまったくないのは言うまでもないことである。

しかし、若いときは睡眠物質が大量に出るのでわからんだろうから、睡眠において歩くと走るの違いがわかるというのは、睡眠物質が枯渇して眠りの浅いあたしら年寄りに与えられた特権のひとつかもしれんわけである。

誰かが老人力と言ってたが、ああ、赤瀬川さんだっけかな、まあいいや、つーことで今日もやらないよりマシの範囲内で走るわけである。

ちゃんちゃん。

だから、いらんだろ。

その場しのぎの人生・ぺちぺちくん140


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なにしろてけてけである。

てけてけが何かはあたしにだってわからんのは言うまでもないことであるが、いつもの通り口から出まかせ状態でネタが始まったのも言うまでもないことである。

え~と、なんだっけ?

日本もいよいよデルタ爆発で、さらにオリンピックで持ち込まれたラムダも拡がればいやおうなく未曾有の危機を迎えんとするわけであるが、ロックダウンが現実的でないお国柄の都合上、この先は医療切迫、自宅療養死者続出てなにっちもさっちもいかない方向に驀進するのか、ワクチン反対バカはさておいて、奇跡的にワクチンが行き届いて数ヶ月でそれなりに収束するのか、果たして天国か地獄かお楽しみは尽きないわけである。

誰がお楽しみだ。

尺稼ぎにコロナネタを振ってみたわけであるが、膨らまないことおびただしく、あたしもどうしていいのかわからんあれこれである。

なんやこれ、日本語になっとらんがね。

この先も身のある話が出てくる様子もないので終わり。

終わるなよ。

まあなんである、何がどうなろうがなるようにしかならんのであるから、ここはひとついるのかいないのかわからん神様のゆーとーりということで、お気楽に構えてこの先の日本の行く末を見据えて後世の糧としたいところである。

書いてる本人にも意味が全くわからない。

バカなんじゃなかろうかと思うが、もちろんこれも神のお告げであるのであたしは書かされているということがそこはかとなくあれこれするのである。

内容がないよう。

ならやめりゃいいもんであるが、ここでやめると史上最強の霊能駄文師の沽券にも股間にもかかわるのである。

なにしろこの世の霊という霊を束ねる力を授けてくれた神の小間使いとしてのお役目を果たすべく、神の言葉を書き連ねてぷりぷりうっふんあらいや~んである。

小間使いかよ。

ああ、信者が逃げて行く。

そら逃げるわ。

ううむ、なんにもネタがないとこうなるな。

ぺちぺちくん139・チンケな人間の改善策


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こんなネタに誰がしたというあいかわらずの情けない展開であるが、そこはそれ読者の叡智を結集しておもしろおかしく読み砕いていただきたい。

何を言ってるのかあたしにも定かでないが、たかが落書きであるのでどーでもいいのである。

誰が落書きだ。

さて信者から「チンケな人間の改善策を」というリクエストであるので、解説するわけである。

まあ、簡単に言うと、自分で「自分はチンケである」と気がついた時点でおおむね改善しているのである。

自分が何者かわかるということは実にこの世に生きとし生けるものの命題であるが、ううう、くだらん、死にそうだ。

ところがチンケ人間は自分がチンケ人間であるということに気がつかないのである。

チンケ人間ってなんだよ。

しらんがな。

たまさかにあたしの書いた神のお告げという名の口から出任せを読んで、「なるほど自分はチンケである」と気がついたと自分では思っても、心の奥底では「いいや、そんなことがあるはずがない、象師匠なんてホラ吹きのいうことは嘘に決まってる、本当の自分は大物であるのは間違いない」と認めないのでやはり一生をチンケで終えるのである。

人間はそのようにできているのである。

自分が救いようのないチンケ人間であると心底から認めることは「人生に絶望する」ということである。

そうなれば生きる意味がなくなってしまうのである

そうならないように、脳がそのように意識を保つようにできているのである。

だからどうやってもこうやっても心底から自分がチンケであると認めることはないのである。

つまり、チンケ人間の改善策は「バカは死ななきゃ治らない」ということである。

ちゃんちゃん。

終わるなよ。

たとえばネットはチンケ人間の見本市みたいなもんである。

自分がいっぱしの大物だと勘違いしてるチンケ人間がえらそーにあれこれとんちんかんで愚にもつかない自説を開陳したり、なんら非のない相手にも上から目線で誹謗中傷の限りをつくしたりしてお楽しみになるわけである。

チンケとバカは同義語であるので、自分が何の役にも立たない低知能であると気が付くわけもないが、ネット以前はなんの発言権もなかったチンケなバカが知識人などと同等に発信できることになって、もちろん数パーセントの高知能よりも圧倒的にあたしらチンケでバカで低知能の方が数が多いので、状況はもう支離滅裂な混沌状態になっているわけである。

ニュースサイトなんぞもチンケなライター満載でプロにあるまじき誤字脱字はもちろん、的外れで意味不明の記事も多々あってバカバカしくなるが、もちろんあたしは極め付きのチンケ人間であるので、愚にもつかないチンケな記事を読みながら「ははは、バッカじゃねーの」なんてけなして日々お楽しみになるわけである。

チンケがチンケをけなして丸く収まるのである。

よかったよかった。

てきとーに終わるなよ。

だってチンケなんだからしょーがないじゃん。

ぺちぺちくん138・チンケな人間の人生

象気功

チンケな人間は自分がチンケだとは思っていないのである。

逆に自分は大物で、将来はたいした地位につくと信じ込んでいる場合も多々あるのである。

もちろんチンケな人間であるからろくな仕事や人間関係ができるわけもなく、散々な人生を送ることになるのであるが、それでも実際の自分は大物であると信じて疑わないのである。

まったく自分の置かれた状況を理解することもなく、ただひたすら今ろくでもない人生を送っているのは能力を発揮する場や運に恵まれないだけだと、そのあるわけもない能力に期待して、必ず輝くことが起きると自信満々で待っているのである。

これはなぜか?というと、チンケだからである。

もちろんちん毛ともケツ毛とも無関係であるのは言うまでもないことである。

聡明な象気功信者はお気付きの通り、始まったばかりですでにすっかり飽きてるのである。

ううむ、文章もチンケかよ。

文章てなものは、何が何してなんとやらと書くのが正しいわけであるが、それでは面白くもなんともないのである。

何が何もしなくてもなんとやらにならないというのが面白い文章であるが、こうなると何が言いたいのかさっぱりわやである。

しかし、そこはそれ読者の想像力で補っていただくのがあたしの心の拠り所である。

こんな展開で怒らないでね怒らないでねと言いながらさっぱり反省してないのである。

ちゃんちゃん。

ちゃんちゃんが出ると終わりであるのはこれも聡明な象気功信者はお分かりのこととご推察申し上げるのである。

これじゃ象気功が嫌いになる人がいるのも頷ける。

うんうん。

頷くなよ。

ぺちぺちくん137・走る気功法




象気功

えーと、なんだ、その、毎日走るのが日課である。

走るといっても、べつに何かの競技会に出るのが目的でもないし、脚部の筋肉を自慢しようてなことでもないので、ただひたすらゆっくり走るわけである。

ご存じの方はご存じの通り、太行功(たいしんこう)という走る気功法があるので、なーんだということでもあるが、いわゆるスロージョギングである。

太行功は非常にみっともないゾンビ走りであるが、街中をあんなバカ丸出しの走り方でいい年したおっさんが血相変えて走ってるとけーさつに通報されるのである。

そんなことをしなくても、美しいジョギングフォームでゆっくり走っても効果は同じである。

まあ、これもご存じの方はご存じのとおり、人間は元来歩くようにできていて、走ればあれこれ支障が出るのである。

過ぎれば活性酸素を過剰に生産してDNAを傷つけてあれこれの疾病を招いたり、膝関節などを痛めたりもするわけである。

じゃあ、歩けばいいじゃんというご意見もあるとは思うが、これもご存じの方はご存じの通り走る方が気持ちがいいのである。

また、歩くより走る方が筋肉に負荷が大きく、カロリー消費も大きいので時間の節約ということでもあるわけである。

とにかくゆっくりを心がけて走れば気功法として氣の充填による氣道の拡充という効果もあるし、さらにはいわゆるダイエットには最高の方法である。

ご存じの方はご存じのとおりあたしは暴食が趣味みたいなもんである。

もちろん、それなりに調整はしているが、それでも1食で2000㌔カロリーを超えてしまうこともざらであるので、過剰分を消費するために、とにかく365日がダイエットである。

なら、食うのをやめればいいじゃんというご意見も当然あるとは思うが、やだよーだ、である。

だいたい毎日40分走ることにしているのであるが、30分だったり、朝20分夕方20分だったり、象気功タームの「やらないよりマシ」でてきとーである。

とにかくできる限りゆっくりで、感覚としては走る站椿功という感じである。

ダンサーとして必須の体重管理の他に、血圧は理想的な数値になるし、よく眠れるし、うん〇も快調だし、脚力や心肺機能を含めて体力持久力が維持できるし、氣は無理なく充実するし、いいことだらけである。

誰がダンサーだ。

ハイハイ。

ぺちぺちくん136・N5010をSSDに換装する


象気功

まあ、なんだ、昨今はスベリ芸というのもそれなりに認知されたというのか、日本独特のお笑いのパターンになっているわけである。

そこをなんとか漫画にも取り入れることはできないかというのがぺちぺちくんのひとつの構成であるなんてことは言いません。

だれがやねんっ。

ああ、信者がどんどん引いて沖のかなたに遠ざかって行くのが見える。

さて、仕事で酷使して壊れてぴーともうんともぷーとも言わなくなって物置に捨ててあったゴミPC6台をあれこれいじくって回復させて、さらにすべてHDDからSSDに換装しようという企画の最後のネタである。

回復させるだけでも大立ち回りだった古色蒼然N5010てなLenovoの12年前のPCがそのネタの大トリである。

まあ、何はともあれ、バッテリーが生きてるのでパコン!と外すわけである。

アホでもできるのである。

誰がアホやねんっ。

ああ、あたしだあたしだ、うるせーよ。

無駄な尺稼ぎはやめなはれ。

ハイ。

次にメモリ増設のためのカバーを開いて、DVDドライブを取り付けているネジをくるくる回して外すのである。

さらに裏ブタについている20本ぐらいあるネジというネジをくるくる回して外すのである。

外回りにゴムで蓋をして見えなくしてあるネジもあるので、それもくまなく全部外すのである。

ここが結構肝心である。

一本でも外し忘れると、この先の作業に支障をきたすのである。

つまり、ずぼらでてきとーをもっとーとするあたしが、外し忘れてあらいやんと行ったり戻ったりキーボードをひん曲げたりした結果のノウハウであるわけである。

すると、あーら不思議DVDドライブが引っ張ればパコンと外れるのである。

ううむ、しぬほどつまらん。

次にキーボードを固定しているツメをドライバーで押し込んで、ペチペチと引っぱがして、本体とつないでいるコードのコネクターラップをペチンとはずすのである。

さらに三か所にあるコードのコネクターラップもペチンペチンペチンと外しておくのである。

これを怠ると上蓋を開けるときに、修理どころかぶち壊しになってしまうのである。


さて、さすがにPC修理が趣味でないあたしも道具がないことで四苦八苦してるので、蓋を引っぺがしたりコネクターラップをペチンしたりするのに必要な修理セットを例によってアマゾンでお買い求めになったのである。

次にキーボードをはがした下にある10本ぐらいのネジを全部くるくる回してはずして、キーボードをはがした上蓋の隙間にスペーサーを挟んでさらにベチベチとはがすわけである。


てなことでベチベチと上蓋をはがすとこのとおり基盤が表れて、左下のHDDが出てくるのである。

そのHDDをまともなPCからクローンしたSSDに交換して、工程を逆回しで元に戻せば換装は完了である。

もちろんSSDはいつもの120GB激安2250円のWINTENであるが、これが実に快調快調であたしの回虫もご機嫌である。

でたらめかよ。

さて、これでみごとに動いて「ひゃっほー」と叫ぶのかと思いきや、ぜんぜん動かないのである。

このPCが一筋縄で動かないのは回復作業時にあれこれ経験済みであるので、そこはそれ動じることはなく、Windows10インストールメディアをUSBに差し込んで例のコマンドプロンプトを立ち上げてコマンドをあれこれしたのちクリーンインストールである。

それでこのとおりポンコツPCが爆速SSDのPCに早変わりである。


空きが88.7GBである。
近々リリースされるWindows11にアップデートしても大丈夫である。

その他も快調であるのであたしの回虫もご機嫌である。

なんなのその回虫って

これで気をよくしたあたしは、最後に残ったCPUがCeleronでN5010同様に分解が難物のLenovo ideapad 100てなPCもキーボードを引っぺがして上蓋をはがしてSSDに換装したのである。

終わり。

まあ、あっさりね。

ぺちぺちくん135・G50ー70をSSDに換装する


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まいど支離滅裂かよと言われればぐうの音も出ないところであるが、漫画家も芸術家あるいはクリエイターの端くれであるので、必ずしも理にかなったものを描くことが正解ではないわけである。

意味も意図も不明なところに芸術の醍醐味をあれこれするのが真の漫画家である。

誰が漫画家だ。

文章がてきとーかよ。

まあ、ええがな。

さて、新型コロナ自粛で暇だらけになった日常を回帰して、ううむ回帰はちがうかもしれんが、とにもかくにも暇つぶしに捨てようと思って物置に山積みにしておいた仕事で使い潰したゴミPCを直し始めてあれこれやっていたら「なんだ、経年劣化してよれよれのHDDをSSDに換装すれば、メモリとCPUは経年劣化しにくいので、新品同様どころか爆速になるじゃん」と言うことがわかったわけである。

それで開かない裏蓋もむりやり引っ剥がして交換すること3台が新品同様になってこれはいけるじゃんということで、そうはいってもこれは無理だろうという、おもいっきり壊れてぴーもぷーもうんもすんも言わなくなって、今回裏蓋を開けてみたらメモリも無いという文字通りゴミである2015年製造のLenovoのG50ー70てなうんこPCのHDDをSSDに換装したら果たして動くのかどーなのか、ワクワクドキドキ年甲斐もなくときめいて、昼間は仕事があるので朝の3時から起きて馬鹿丸出し修理三昧のあれこれである。

まず、例によってアマゾンで買ったここのところ我社のPC修理の定番の2250円という安もんのWINTENてな120GBのSSDを外付けケースに入れて、現在使用中のまともなPCのディスクからクローンを作るわけである。

この先はクローン作成ソフトが勝手にやってくれるので勝手にやってもらうのである。

まあ、こんなお楽しみができるのも、SSDの価格が数年前までは数万円だったのが、現在では10分の1程度の数千円というお手軽価格になって、お気軽に換装できるようになったということがあるな。

それでクローン完了のSSDをうんこPCに取り付けて、これもアマゾンで買ったLASALASてな聞いたこともないわけのわからん4GBで2377円てな安もんのメモリを2個取り付けたのである。

「本当にこれでぶっ壊れてどうにもならんこのゴミPCが動くのかね」と、元来がPC修理自体にまったく興味がないのでハードもソフトも情弱丸出しのあたしはワクワクしながら電源ボタンを押して起動の成り行き見るわけである。

そしたらなんとあざやかに立ち上がるではないか。

捨てる寸前のゴミPCが立ち上がった感動はもうこれ筆舌に尽くし難く、もちろん辺りもはばからず朝っぱらから「ひゃっほーっ」と叫んだのは言うまでもないことである。

しかし、ディスプレイの上部になにやら黒い横線が数本入って、さすがはぶっ壊れたゴミPCであると感慨にむせんで涙もほろほろ嘘泣きしたのである。

この黒線は液晶パネル自体の故障であるので、パネル交換以外に直しようもないてなことであるが、もちろんこんなゴミPCにこれ以上金をかけるわけもないので、まあええがなである。

どうせお仕事のときはモニターにつなぐのでこのとおり黒線もなくすっきりキレイキレイである。

ディスクの空きも71.6GBで十分使えるではないか、けっこうけっこうコケッコッコーで夜が明けたである。

ううむ、もしかするとあたしはバカなのかもしれん。

今頃気がついたのかよ。

いずれにしても再起動したら数秒で立ち上がるのである。

まさに爆速である。

すごいぞバッタもんの激安SSD。

8GBのメモリの空きも十分すぎるぐらい十分で、動きも絶好調だ、すごいぞわけのわからん安物メモリ。

あらま、バッテリーが死んでないじゃん、残りが6時間42分もあるぞ。

これはびっくり、持ち運びもできるではないか。

しないけどね。

上の写真はこれまでにSSDに換装して取外されてしまったHDDの皆さんである。

記念として額装して飾るのであるなんてことは言いません。

あと2台、ゴミ置き場からあれこれやって回復したが、ディスクがHDDであるので動きが激悪のPCがあるのである。

この2台はキーボードからDVDドライブまではずしてバラバラに分解しないとHDDが出てこないという難物であるので、まだまだ続く自粛の暇つぶしのお楽しみはつきないわけである。

なんか子供の頃に夢中になったプラモ作りを思い出すのである。

興味のない向きには実につまらんネタである。

ぺちぺちくん134・ゆるゆるな精神状態


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何事においても、ものごとはゆるゆるな精神状態で見ることが肝要である。

ゆるゆるな精神状態とは、てきとー、いいかげん、やらないよりはマシてな状態である。

人間てなものは何をどうやっても成就するものは成就するし、何をどうやってもだめなものはだめである。

たとえばお仕事を死ぬほど努力してがんばってるのに、通勤途中でアタマがパンクしたわけのわからん見ず知らずのにーちゃんに刺されたりして死んじまったりするのである。

あるいは通りがかりの工事中のビルから足場が降ってきて即死したりするのである。

あるいはギアを入れ間違えたじじいの車にひき殺されたりするのである。

本人の不注意でもなく、本人の努力不足でもなく、まったく予期せぬ方向から人生の終わりがいきなりこんにちはするのである。

まあ、これは極端な例であるが、ことほどさように何事においても本人の努力精進とは無関係に行き先は決まっているのである。

たとえば低知能でバカ丸出しの両親のもとに生まれれば、何をどう努力しようが本人もバカ丸出しの人生を送ることは必定である。

生まれは本人にはいかんともしがたくまさに神の思し召しであるが、つまりは、生まれた時点で人生の先行きは決まっているわけである。

「努力すれば必ず報われる」なんてのは恵まれたDNA遺伝子配列の親から生まれたことを自分の努力と勘違いしているとんちきのたわごとである。

天才藤井壮太の出現にかこつけて「天才の作り方」てな間抜けな本が売れたりもするが、低知能でバカ丸出しの両親から生まれた子供が天才になることはないのである。

バカにどんなに優れた教育をしようが多少マシなバカになるだけである。

どんなに努力しようが教育を受けようが、チンパンジーはチンパンジーである。

まあ、そうはいっても、そんなことで納得できないのはあたしら低知能に生まれたものの浅ましさである。

今日も明日も無駄な努力を積み重ねて、無駄な人生を心行くまで楽しもうではありませんか。

ううむ、語彙も文章もひどく間違ってる気がするが、まあ、てきとーをもっとーとしているので、こんなもんであるのはいたしかたないのである。

終わりかよ。

思いっきりゆるゆるだな。

なんでもええがね。

ぺちぺちくん133・N5010を直してみる

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さて、緊急宣言がさらに延長されて、日本の夜明けはいったいいつ来るのかということが喫緊の問題であるが、コケコッコーと鶏が鳴いて朝になれば夜明けは来るのである。


明けない夜はないし、やまない雨はないのである。


ううむ、つまらん。


さて、仕事場の6台の壊れたPCを緊急宣言中の暇に明かせていじくり倒していたら4台が直ったという話をしていたわけであるが、なにしろ暇なので残りの2台のうちなんとか直りそうな1台をいじくり倒してみたのである。


上の写真の見た通りの古色蒼然あるいは懐かしい形状のPCは10年以上前に買ったDellの安もんである。


いちおうCorei5であるとはいえ、なにしろOSがWindows7という、今どきPCとしてはある意味骨董品であるし、ぶっ壊れてぴーともぷーともいわないゴミである。


しかし、捨てるのがめんどくさいので他のゴミPCといっしょに物置に放ってあったのである。

裏ブタを開けてみたらメモリは2GBであるが、空きスロットがあるので、まあ、もし奇跡が起きて直ったら増設すればいいやてなことである。


それで、マイクロソフトからダウンロードしたUSBの「回復メディア」を差し込んで、画面にDellマークが出たら最近恒例のF12を連打からあれこれの経過を経て回復が始まったのである。


しかし、数時間かかって回復が100%になったところで、「このPCは回復できませんでした」なんて言うのである。


「なら、早く言えーっ」と、怒鳴りたいところであるが、あたしもたいがい大人であるので、そこはこらえて、次に同じくマイクロソフトからダウンロードしたUSBの「Windows10再インストールメディア」を差し込んでまいどのF12を連打してブートメニューからUSBドライブを選択してインストールを開始である。


そしたら、「ドライブ0パーテイション3にWindowsをインストールすることはできません」だの「選択されたディスクはGPTのパーティションではありません」なんて意味不明のことを言い張って、あれこれやってもインストールできないのである。


それで、困ったときのネット検索をしたら、「コマンドプロンプトを起動してコマンドを入力する」なんて、ハードもソフトも情弱のあたしに無理難題をおっしゃるのである。


どうもディスク形式をMBRからGPTに変更しなければならんということらしいのであるが、さらになんのことやらさっぱりわからんのである。


それでインストールの最初のページに戻ってコマンドプロンプトを立ち上げて、言われるとおりに、diskpartだのlist diskだのselect diskだのcleanだのconvert gptだの書き込んでexitしたのである。

これでMBRからGPTにconvertできたのかどーかはわからんが、再起動してF12を連打してあこれしたら、なんとインストールが始まったのであーらびっくりねである。

そしたら、ぶっ壊れたと思って10年以上物置にほったらかしにしておいたPCがみごとに生き返ったのである。


厚みが4cmぐらいで重さも3㎏以上てな、ファンも回ってデスクトップに蓋を付けたみたいなノートPCであるが、なんかかわいくなってくるじゃありませんか。


なんというか、これはレストアした懐かしい旧車が走り出したのと同様の感覚であるな。

それで、使ってみたらこれがけっこう使えるので大笑いしてしまったのである。


いやはやこれで、6台のゴミPCのうち5台が直って、1台はブックオフに500円でお嫁入して、残り4台が今後のお仕事に大活躍するわけであるが、この世は何があるかわからんので間違ってもアホにのせられて断捨離なんかしちゃあいけません。


ううむ、あいかわらずどーでもいい話だな。


うるせーよ。


ぺちぺちくん132・捨てる予定の6台のPCを直してみる

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まあ、なんだね、漫画てなものもこれでけっこうそれなりにあれこれするのである。

意味不明かよ。

前々回、捨てる予定の6台のPCをいじくりまわして直したら3台が使えるようになったてな話をしたのであるが、なにしろ緊急事態であるので暇をもてあまして、直らなかった残りのピーとも言わない3台をさらにあれこれいじくりまわしたら、さらに写真の1台がみごとに新品同様に直ってしまったのである。

それで大喜びで使ってみたら、これがひでーの。

なんでこれを買ったのかわからんが、CPUがeMMC32GBである。

修復の際にWindows10の64bitを再インストールしたら24GBとられて空き容量が4GBである。

使えるかーっ。

てなことで、Windows10の32bitなら16GBぐらいだから空きが10GB以上はできてよかろうと考えて、Windows10・32bitの「再インストールメディア」を作ってインストールしようとしたら、このクソゴミPCが「64bitをインストールしてください」てなわがままなことを言うのである。

つまりもともとこんなポンコツPCであったわけである。

そのポンコツのストレージの足りない分をSDカードで出し入れして、むちゃに使いまわしたらすぐ壊れてしまったのでほったらかしにしたてなことをおぼろげに思い出したのである。

いずれにしてもこんなもん使えるわけもないから、即座に困ったときのゴミ捨て場のブックオフに持ってったら500円だったので「あーら、びっくりね」と帰りにてんやの天ぷらそばを食ったのである。

あー、うまかった。

ちゃんちゃん。