ぺちぺちくん136・N5010をSSDに換装する


象気功

まあ、なんだ、昨今はスベリ芸というのもそれなりに認知されたというのか、日本独特のお笑いのパターンになっているわけである。

そこをなんとか漫画にも取り入れることはできないかというのがぺちぺちくんのひとつの構成であるなんてことは言いません。

だれがやねんっ。

ああ、信者がどんどん引いて沖のかなたに遠ざかって行くのが見える。

さて、仕事で酷使して壊れてぴーともうんともぷーとも言わなくなって物置に捨ててあったゴミPC6台をあれこれいじくって回復させて、さらにすべてHDDからSSDに換装しようという企画の最後のネタである。

回復させるだけでも大立ち回りだった古色蒼然N5010てなLenovoの12年前のPCがそのネタの大トリである。

まあ、何はともあれ、バッテリーが生きてるのでパコン!と外すわけである。

アホでもできるのである。

誰がアホやねんっ。

ああ、あたしだあたしだ、うるせーよ。

無駄な尺稼ぎはやめなはれ。

ハイ。

次にメモリ増設のためのカバーを開いて、DVDドライブを取り付けているネジをくるくる回して外すのである。

さらに裏ブタについている20本ぐらいあるネジというネジをくるくる回して外すのである。

外回りにゴムで蓋をして見えなくしてあるネジもあるので、それもくまなく全部外すのである。

ここが結構肝心である。

一本でも外し忘れると、この先の作業に支障をきたすのである。

つまり、ずぼらでてきとーをもっとーとするあたしが、外し忘れてあらいやんと行ったり戻ったりキーボードをひん曲げたりした結果のノウハウであるわけである。

すると、あーら不思議DVDドライブが引っ張ればパコンと外れるのである。

ううむ、しぬほどつまらん。

次にキーボードを固定しているツメをドライバーで押し込んで、ペチペチと引っぱがして、本体とつないでいるコードのコネクターラップをペチンとはずすのである。

さらに三か所にあるコードのコネクターラップもペチンペチンペチンと外しておくのである。

これを怠ると上蓋を開けるときに、修理どころかぶち壊しになってしまうのである。


さて、さすがにPC修理が趣味でないあたしも道具がないことで四苦八苦してるので、蓋を引っぺがしたりコネクターラップをペチンしたりするのに必要な修理セットを例によってアマゾンでお買い求めになったのである。

次にキーボードをはがした下にある10本ぐらいのネジを全部くるくる回してはずして、キーボードをはがした上蓋の隙間にスペーサーを挟んでさらにベチベチとはがすわけである。


てなことでベチベチと上蓋をはがすとこのとおり基盤が表れて、左下のHDDが出てくるのである。

そのHDDをまともなPCからクローンしたSSDに交換して、工程を逆回しで元に戻せば換装は完了である。

もちろんSSDはいつもの120GB激安2250円のWINTENであるが、これが実に快調快調であたしの回虫もご機嫌である。

でたらめかよ。

さて、これでみごとに動いて「ひゃっほー」と叫ぶのかと思いきや、ぜんぜん動かないのである。

このPCが一筋縄で動かないのは回復作業時にあれこれ経験済みであるので、そこはそれ動じることはなく、Windows10インストールメディアをUSBに差し込んで例のコマンドプロンプトを立ち上げてコマンドをあれこれしたのちクリーンインストールである。

それでこのとおりポンコツPCが爆速SSDのPCに早変わりである。


空きが88.7GBである。
近々リリースされるWindows11にアップデートしても大丈夫である。

その他も快調であるのであたしの回虫もご機嫌である。

なんなのその回虫って

これで気をよくしたあたしは、最後に残ったCPUがCeleronでN5010同様に分解が難物のLenovo ideapad 100てなPCもキーボードを引っぺがして上蓋をはがしてSSDに換装したのである。

終わり。

まあ、あっさりね。

ぺちぺちくん135・G50ー70をSSDに換装する


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まいど支離滅裂かよと言われればぐうの音も出ないところであるが、漫画家も芸術家あるいはクリエイターの端くれであるので、必ずしも理にかなったものを描くことが正解ではないわけである。

意味も意図も不明なところに芸術の醍醐味をあれこれするのが真の漫画家である。

誰が漫画家だ。

文章がてきとーかよ。

まあ、ええがな。

さて、新型コロナ自粛で暇だらけになった日常を回帰して、ううむ回帰はちがうかもしれんが、とにもかくにも暇つぶしに捨てようと思って物置に山積みにしておいた仕事で使い潰したゴミPCを直し始めてあれこれやっていたら「なんだ、経年劣化してよれよれのHDDをSSDに換装すれば、メモリとCPUは経年劣化しにくいので、新品同様どころか爆速になるじゃん」と言うことがわかったわけである。

それで開かない裏蓋もむりやり引っ剥がして交換すること3台が新品同様になってこれはいけるじゃんということで、そうはいってもこれは無理だろうという、おもいっきり壊れてぴーもぷーもうんもすんも言わなくなって、今回裏蓋を開けてみたらメモリも無いという文字通りゴミである2015年製造のLenovoのG50ー70てなうんこPCのHDDをSSDに換装したら果たして動くのかどーなのか、ワクワクドキドキ年甲斐もなくときめいて、昼間は仕事があるので朝の3時から起きて馬鹿丸出し修理三昧のあれこれである。

まず、例によってアマゾンで買ったここのところ我社のPC修理の定番の2250円という安もんのWINTENてな120GBのSSDを外付けケースに入れて、現在使用中のまともなPCのディスクからクローンを作るわけである。

この先はクローン作成ソフトが勝手にやってくれるので勝手にやってもらうのである。

まあ、こんなお楽しみができるのも、SSDの価格が数年前までは数万円だったのが、現在では10分の1程度の数千円というお手軽価格になって、お気軽に換装できるようになったということがあるな。

それでクローン完了のSSDをうんこPCに取り付けて、これもアマゾンで買ったLASALASてな聞いたこともないわけのわからん4GBで2377円てな安もんのメモリを2個取り付けたのである。

「本当にこれでぶっ壊れてどうにもならんこのゴミPCが動くのかね」と、元来がPC修理自体にまったく興味がないのでハードもソフトも情弱丸出しのあたしはワクワクしながら電源ボタンを押して起動の成り行き見るわけである。

そしたらなんとあざやかに立ち上がるではないか。

捨てる寸前のゴミPCが立ち上がった感動はもうこれ筆舌に尽くし難く、もちろん辺りもはばからず朝っぱらから「ひゃっほーっ」と叫んだのは言うまでもないことである。

しかし、ディスプレイの上部になにやら黒い横線が数本入って、さすがはぶっ壊れたゴミPCであると感慨にむせんで涙もほろほろ嘘泣きしたのである。

この黒線は液晶パネル自体の故障であるので、パネル交換以外に直しようもないてなことであるが、もちろんこんなゴミPCにこれ以上金をかけるわけもないので、まあええがなである。

どうせお仕事のときはモニターにつなぐのでこのとおり黒線もなくすっきりキレイキレイである。

ディスクの空きも71.6GBで十分使えるではないか、けっこうけっこうコケッコッコーで夜が明けたである。

ううむ、もしかするとあたしはバカなのかもしれん。

今頃気がついたのかよ。

いずれにしても再起動したら数秒で立ち上がるのである。

まさに爆速である。

すごいぞバッタもんの激安SSD。

8GBのメモリの空きも十分すぎるぐらい十分で、動きも絶好調だ、すごいぞわけのわからん安物メモリ。

あらま、バッテリーが死んでないじゃん、残りが6時間42分もあるぞ。

これはびっくり、持ち運びもできるではないか。

しないけどね。

上の写真はこれまでにSSDに換装して取外されてしまったHDDの皆さんである。

記念として額装して飾るのであるなんてことは言いません。

あと2台、ゴミ置き場からあれこれやって回復したが、ディスクがHDDであるので動きが激悪のPCがあるのである。

この2台はキーボードからDVDドライブまではずしてバラバラに分解しないとHDDが出てこないという難物であるので、まだまだ続く自粛の暇つぶしのお楽しみはつきないわけである。

なんか子供の頃に夢中になったプラモ作りを思い出すのである。

興味のない向きには実につまらんネタである。

ぺちぺちくん134・ゆるゆるな精神状態


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何事においても、ものごとはゆるゆるな精神状態で見ることが肝要である。

ゆるゆるな精神状態とは、てきとー、いいかげん、やらないよりはマシてな状態である。

人間てなものは何をどうやっても成就するものは成就するし、何をどうやってもだめなものはだめである。

たとえばお仕事を死ぬほど努力してがんばってるのに、通勤途中でアタマがパンクしたわけのわからん見ず知らずのにーちゃんに刺されたりして死んじまったりするのである。

あるいは通りがかりの工事中のビルから足場が降ってきて即死したりするのである。

あるいはギアを入れ間違えたじじいの車にひき殺されたりするのである。

本人の不注意でもなく、本人の努力不足でもなく、まったく予期せぬ方向から人生の終わりがいきなりこんにちはするのである。

まあ、これは極端な例であるが、ことほどさように何事においても本人の努力精進とは無関係に行き先は決まっているのである。

たとえば低知能でバカ丸出しの両親のもとに生まれれば、何をどう努力しようが本人もバカ丸出しの人生を送ることは必定である。

生まれは本人にはいかんともしがたくまさに神の思し召しであるが、つまりは、生まれた時点で人生の先行きは決まっているわけである。

「努力すれば必ず報われる」なんてのは恵まれたDNA遺伝子配列の親から生まれたことを自分の努力と勘違いしているとんちきのたわごとである。

天才藤井壮太の出現にかこつけて「天才の作り方」てな間抜けな本が売れたりもするが、低知能でバカ丸出しの両親から生まれた子供が天才になることはないのである。

バカにどんなに優れた教育をしようが多少マシなバカになるだけである。

どんなに努力しようが教育を受けようが、チンパンジーはチンパンジーである。

まあ、そうはいっても、そんなことで納得できないのはあたしら低知能に生まれたものの浅ましさである。

今日も明日も無駄な努力を積み重ねて、無駄な人生を心行くまで楽しもうではありませんか。

ううむ、語彙も文章もひどく間違ってる気がするが、まあ、てきとーをもっとーとしているので、こんなもんであるのはいたしかたないのである。

終わりかよ。

思いっきりゆるゆるだな。

なんでもええがね。