ぺちぺちくんの大冒険の12

 


まあ、つまりヤバいときは何をさておいても逃げるに限るのである。

気合根性我慢なんてことをしてると命にかかわるのである。

とにかくすべてを捨ててただひたすら逃げることが、人間本来の生き延びるための術である。

そうは言っても、逃げられない時もあるわけである。

そのときは神の思し召しに従ってあきらめてなるようになるということを素直に受け入れることが肝要である。

逃げられないときとは、例えば愛する家族が危機に瀕しているときに逃げることはできないのである。

あるいはトチ狂ったロシア方面の人がナニを打ち込んできた場合 おいおい おいおい 音声認識が全然読み取らねえじゃねえかよ。

 あーそうかヘッドセットのマイクが曲がってて遠かったのか。

マイクを曲げて元に戻して 、話も元に戻して、その危機が自分の力でどうにもならない時、 何もかも諦めて神の御心に任せるのがあたしら素人の心意気である。

誰が素人だ 。

いいから先に行け。

はいはい分っかりました、おっしゃる通り先に行かせていただきますがな。

なんだこれ?

知らんがな。

出ました、知らんがな。

よしなさい。

はいはい分っかりましたったら、やめればいいんでしょ。

えーとなんだっけ、横道にそれて本筋がどこなのかさっぱり分からなくなってしまった。 

とにかく何があってもすたこらさっさと逃げることである。

それが生命維持にとって最も重要なテクニックとファクターを兼ね備えたあれこれである。

何言ってるの?

だから知らんがな。

ロシア方面の人も何かの弾みで始まってしまうと今までの豪華な宮殿暮らしが一夜にして地獄の底にならんとも限らんので、やる気まんまんに見えても現在はその状況からあれこれ言い訳してある意味すたこらさっさと逃げているわけである。

その逃げ道が塞がれたときはアレである。

日本でいえばどう考えても標的はあたしがお住いの東京だろうし。

おおこわ。

今のうちに東京から逃げた方がいいかな。

逃げるといってもねえ、世界中が汚染されるだろうし、まあ、やっぱり神の思し召しだね。

こんなの誰が面白いんだよ。

知らんがな。

象気功

ぺチぺチくんの大冒険の11

もう何である、久しぶりであるがそこはそれなんとかネタを考えてアップするわけである。

まあとにかくまいど象気功で言ってる通り、この世の中はまったく何が起きるかわからないわけである。

何が起きるか分かると言ってるやつは、某旧統一教会同様の詐欺師であるので付き合うのはやめたほうが無難である。

しかし宗教というものはどうしようもないもので、信じたが最後、骨の髄までしゃぶられても本人的には極楽極楽と気持ちいいことこの上ないわけである。

まあそんなことはどうでもいいが、追い詰められたプーチンがどの方向に走り出すのか、まあ、ある意味あたし的には興味津々であるが世界的には恐怖のどん底であるわけである。

一歩間違えた方向に走り出すとあたしの極楽生活は一気に崩れて何が何だかわからん無限地獄へと落ち込むことになるわけ である。 

もちろん地獄に落ちないためには某旧統一教会の摂理に従って生きることが要求されるわけであるが、何しろ某アサハラ同様の詐欺師の言うことであるので信用できることは何一つないのでどんな摂理に従ってもプーチンの走り出す方向によってはどなたも此方も一緒くたに地獄の底へと落ち込むわけである。

ウーム、久々に書いてるというのにろくなネタが出てこないので世界の終焉を楽しく予測すると言うわけのわからないバカ話に終始するわけである。

こんなのを読まされる方は相も変わらずたまったもんじゃないと思うが、今しばらくお付き合い頂きたい。

おいおいさらに続くのかよ。

なるほど少し感高いトーンで話すとうまく音声認識されるということであるな。

男らしい低い声はどうもこもって認識されにくいらしい。

この際やはり得意のオネエモードを発揮して 地獄の底を明るく楽しくテラスわけである。

テラスぐらい軽やかに漢字にしてもらいたいもんであるが、テラスが外のテラスなのか闇を照らすのかなかなか単独語彙では判別してもらえないらしい 。

しかし何か面白いネタはないもんだろうか。

 あーそうだ、先日そば屋でそばを食ってたら、どうも ご近所の農家のおじいさんらしい人がノーマスクで入ってきて席に着いたのである。

そしたら50絡みの店長らしきおっさんがよってきて「申し訳ございません当店は食事中以外マスク着用をお願いしておりますので、車にありましたら取ってきてください」とお願いしていたが、おじいさんは応じる様子もなく座ったまま「野菜炒め定食」と注文したので ある。

店長が不機嫌を前面に押し出して「当店はそば屋でございますので野菜炒め定食はございません、他の店に行ってください」とごくごもっともなご意見を言ったのである。

「そんなことはない、前にここで食べたぞ」

「いいえ、私はこの店で26年店長をしておりますが、野菜炒め定食を販売したことはございません」

「 山下さんを知ってるだろ」

「はい、時々ご来店されておりますので存じておりますが、 当店に野菜炒め定食はございません」

「いや、俺は野菜炒め定食が食べたいんだ」

「そちらにあるメニュー以外のものはお造りすることは出来ませんので他の店に行ってください」

 というような訳の分からない言い争いが目の前で展開されているので蕎麦を味わうどころではなく、あたしゃ面白くてどうなるのか興味津々、この後のおじいさんがもしかしたら暴れ出すかもしれないという究極の楽しみにわくわくしていたのである。

しかしおじいさんは暴れ出すこともなくそのまま店を出て行ってしまったのである。

誠に残念なオチである。

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の10

 


まあ何である、 例のあの事件以来自民党の統一協会関係者はえらいことになってるわけである。


そいつらにとっては、ううむ、そいつらは言い方としてどうかとは思うが、まあいい、それでそいつらにとっては ある意味降って湧いたような災難である。


まあ彼にしてみれば、彼というのはつまりてっちゃんであるが、てっちゃんは実に目的を果たして、自民党の統一教会関係者と統一教会に大変なダメージを与えた訳である。


いや別にてっちゃんを正当化するとか擁護しているわけではないが、自民党の安倍派と統一教会つながりの議員には恨みという名のあれこれが直撃したわけである。


まぁ本来は旧統一教会と言うのが筋であろうが、どんな風に表現しようが統一教会は統一教会である。


別段統一教会に恨みもないが、霊感商法全盛期の頃、仕事場のピンポンが鳴って出てみるとお姉ちゃんが何やら大きめの袋を持って売りに来たのである。


どうもサキイカらしいので、これは例のやつだなと思って、「ああ、統一協会?」と聞いたのである。


そしたらお姉ちゃんが「あら、あなたもそうですか、統一協会で~~~す」と言ったのでバタンとドアを閉めたのである。  

 
 

今までマスコミや反統一教会の弁護士や評論家がよってたかって潰そうとしても政治的圧力で頑として潰れなかった統一教会がてっちゃんの一撃によって政界との関係が一気に暴かれて窮地に陥ってるわけである。 

 
 

そんなこんなであのお姉ちゃんや統一教会信者からするとあたしはサタンである。 

 
 

あるいは審判の日に地獄に落ちる ろくでなしであるわけである。 

 
 

しかしどちらが地獄に落ちるかは統一教会信者以外の誰が見ても一目瞭然であると思うが、そうは言っても信者はすっかりマインドコントロールされて、社会に悪を垂れ流しているという意識はサラサラなく、 サタンを退治していると言う正義の行いをひたすら果たしていると思っているわけであるから大変始末に悪いわけである。  

 
 

てっちゃんの母親も息子の行いは統一教会に申し訳ないと言うご意見で、原因が統一教会の悪行にあると言うことはどこ吹く風で相変わらず信仰に勤しんでいるし、信ずる者は救われるかもしれないというところがなかなかね、乙だね。


象気功  

ぺちぺちくんの大冒険の9

しかし音声入力というのはこの後どういう風に進化するのだろうか。

そんなに音声入力に拘る必要はないとは思うが、音声入力以外にネタがないのである。

音声入力の練習に音声入力のことをネタにするのは本末転倒であるかもしれないが、ないものはないので致し方ないのである。

こんなものを読まされるほうはたまったもんじゃないと思うが書く方もたまったもんじゃないのである。

何でもネタにすればいいということではなかろうが 到底そんなことをあれこれやってみると 当店が当店で出ないところが問題の根本であると思うような今日この頃である。

以前にも言ったように、やはり音声入力だけでは正確な文章を綴るのは無理であるかもしれないのでキーボードを併用するのは致し方ないのかもしれないのかもしれないのである。

そうは言ってもキーボードを使うのは 句読点に限られるわけであるがスペースも音声認識で入力するのは非常に困難であるので削除とスペースはキーボードを使わざるを得ない理由であるなあ。

句点を丸と言ってそのまま出る場合もあれば丸がそのまま文字としてまると出てしまうこともあるのでどうもややこしいことになっている理由である。

理由をひらがなのは解けにしたいわけであるがは溶けがハート型になってしまっている。

ウーム、どうにもなっとらんな、日本語として成立しとらん。

理由が理由になってしまうというのも問題であるがそんなことを言ってるとどうにもこうにも先に進まないのでまあそれはそれでいいとして先に行くわけである。

しかしこんな文章をアップして良いものかどうか心が痛むがそこはそれ何事もやってみなければわからないので行ってみる理由である。

行ってみるわ行ってみるになっているので、おいおい何が何だか分からんじゃないか。

これはマイクの問題なのか 間抜けな恋愛の問題なのかわからんが私の滑舌の問題かもしれないのでそこがそれ闇の中である。

むちゃくちゃであるが、できたらコピペである。

なんやこれと言われてもコピペである。

しつこいと言われてもコピペである。

終わり。

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の8

音声入力に続いて、スマホで漫画を描いてみるわけである。

今まではタブレットで漫画を描いていたわけであるが、タブレットが軽いとはいっても400gぐらいはあるので左手で持って描くと疲れるというのが主な理由である。

机に置いて描けばいいではないかというご意見もあるとは思うが、 あたしの場合どうしても左手で持たないと描けないという習慣になってしまっているのである。 

そんなバカな理由で絵のクオリティを落としていいはずもないが元々が適当な絵であるのでそこはそれ一応やってみるわけである。

それでやってみるとこれが想像通りで、やりにくいったらありゃしないのである。

そりゃそうである。

画面が半分以下になってしまうわけであるから描くたびにズームアップしなければならないので、めんどくさいことこの上ないのである。

今までパソコンで描くあるいはタブレットで描くという発想はあったが、スマホではあまりにも画面が小さい気がして絵を描くという発想がなかったのである。

 肉筆で描いていた時代のイメージで基本的に B 4で描くと言うプロの漫画家の習性が残っていたわけである。 

誰がプロの漫画家 だ。 

へいへい。

それはそれとして、誰がそれはそれとして だ。

キリがないから一人ボケはこの辺で終了として 、誰が終了だ、もうやめろ、はいはい。

とにかくぺちぺちくんの大冒険はさらに続くわけである。 

それに合わせて音声入力によるブログの更新もさらに続くわけである。

 だから何だと言われても返す言葉もないのは言うまでもないことであるがとにもかくにも人生というものは思いもよらない方向に進むものである。

ぺちぺくんの大冒険も思わぬ方向に進むかもしれないが、それもこれも神の思し召しであることに変わりはないわけである 。 

人生は何事もチャレンジである。 

何言ってるの? バカなの? 

いつものボケのパターンで面白いわけがないが、それもこれも神のお告げの自動書記であるのであたしの責任ではないのは言うまでもないことである。 

やっぱりバカだ 。 

まあこんなとこかな。

しかしなんだな、音声入力では脳はお休みしたまま文章が綴れてしまうので間抜けな展開になってしまうな。 

キーボードを打つ手指の手の動きによる脳の活性化というものは非常に大きなものがあるということが実感できるわけである。 

はいはい分かりました。 

誰に言ってるの ? 

お前だよ。 

怖いからやめて。

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の7

そんなこんなで、ぺちぺちくんの大冒険はつづくわけであるが、あたしゃ大人になってから漫画はほとんど読まないのである。

なんでかわからんが、あれだけ子供のころ好きだった漫画を、大人になってからはまったく読む気にならんのである。

でも、例外があって、文春の桜玉吉さんと伊藤理沙さんと週間朝日のパパはなんだかわからないは読むのである。

まあ、漫画だから見るという方が正しいかもしれないが、とにかくそれは読むのである。

さらにサンデー毎日の蛭子さんの連載のついでに載ってる漫画というかイラストは見るのである。

まあ、最近の蛭子さんはご存じの状態であるので、一コマになってしまったのである。

内容もまったく意味不明であるが、見るのである。

dマガジンで毎月数百円払って読むあるいは見るのはそれだけである。

それ以外の記事の内容は新聞広告と大差ないのでまったく読まないので、漫画しか読んでないとは言えるかもしれないのである。

やっぱりあたしは漫画好きであるかもしれないのである。

以上である。

なんやねんと言われても以上である。

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の6


まあ、日本のコロナの大冒険も終わるようでなかなか終わらん状況であるが、開けない夜はないようにそのうち終わるかもしれないのである。

かもかよ。

ううむ、とにかく漫画の後書きであるので、漫画より面白い話は禁忌なのは当然であるから、てきとーなよしなしごとでお茶を濁したいなあ。

なあかよ。

昔、たしか小学校2年か3年ぐらいの時だったと思うが、父親の知り合いの柔道の町道場に連れていかれて、好きでもない柔道を始めたのである。

そこに行ったら偶然同級生のデブの金子君が来ていて、いっしょに投げたり投げられたりの練習をしていたのである。

金子君はいわゆるいいとこのおぼっちゃんにありがちなデブであったが、これもいいとこのおぼっちゃんにありがちな好き嫌いがひどく、とくに学校の給食が嫌いである。

それに対してあたしは極め付きのビンボー人のこせがれであったので、当時のひどい給食も大好きで、おかわりをするぐらいである。

それで、ある日先生が給食後に「金子君、何してるの!それを見せなさい!」と机から取り出したのは、ビニール袋に入った給食のお料理である。

金子君は給食のお料理がどうしても不味くて食えなくて、家から持参したビニール袋に入れて机にしまっていたわけである。

それが子供心にいわゆる残飯のように見えて、非常に不快な気持ちをした覚えが鮮明にあるが、つまり、金子君は毎日給食のお料理を密かにビニール袋に入れて、帰り道の途中で捨てていたのか、あるいは母親にそうするように言われて家に持ち帰っていたのかもしれないのである。

金子君とは学校では特に親しくもなく、柔道場では投げたり投げられたりが忙しくて話してる時間もないし、金子君に詳しく聞いたわけではないので、今となっては真相は不明である。

金子君にとってそんなに苦労をしても食いたくないぐらい不味い給食のお料理は、あたしにとっては絶品の美味い料理であったということの方が問題かもしれないのであるが、そのあたしが不味くて食えない店がときどきあるので、この世はまだまだ広いと自分の見識のなさに今更ながらけけけするのである。

文章がでたらめかよ。

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の5

ううむ、まあ、なんだな、ぺちぺちくんの旅は怪物・モンスターを退治して地球に平和を取り戻すことであるが、現実世界では戦争という怪物を退治して世界平和を取り戻すのは容易ではないわけである。

それはともかく、昨今、写真をアニメ風に加工するアプリが流行りで、ツイッターにもそれで加工した写真があれこれ出回って、現実ではない写真があれこれ大人気であるが、まあ、一応、昨日アップしたなんの変哲もない風景写真を加工してみるのである。

ありえない月が出てるわけであるが、あほくさ。

しかし、これをアップしてみて、「夜はアニメのワンシーンのようだった」なんてコメントを付けたら、ぺちぺちくんの漫画はまたもやボロ負けするんだろうか。

するだろうな。

まあ、やってみなけりゃわからんのでやってみるが、このように昨今の世の中はツイッターも含めたSNSのあらゆる方法の操作で成り立っているので、社会はあれこれ操作されて、米国なんかは高知能のバカに操作された低知能のバカが大挙して議会に押しかけてあらぬ方向に行きかけたわけである。

ツイッターを含めたSNSはある意味の怪物になりつつあるが、さらにマスクという怪物がかかわることでどんな操作がなされるのか、興味津々のお楽しみである。

日本でもそれなりにあらぬ方向に操作されて、おちょーしものが大張り切りであれこれに並んだりするわけであるが、それもこれも面白いのでがんばっていただきたい。

このSNSという怪物も含めて、ぺちぺちくんは地球上のあらゆる怪物を退治できるのかできないのか、さてさてこの先の展開が楽しみである。

もちろん、誰も期待してないかもしれないのは言うまでもないことである。

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の4

まあ、なんである、実はあたしは無類のタコ焼き好きである。

しかしこれが、祭りで店を出す屋台のテキ屋さんのタコ焼き限定である。

それ以外の某銀なんとかの類いの大手のタコ焼なんかはうまいと思ったことがないのである。

もちろん、銀なんとかの類いの店には大きなお世話である。

祭りのテキ屋さんのタコ焼きにも美味い不味いはあるが、とにもかくにも、祭りでタコ焼きの店が出てると、買ってしまうのである。

だいぶ前の話であるが、中央高速の某SAのテナントにおそらく地元のタコ焼き店であろう店が入っていて、おばさん店員に「タコ焼きひとつ」と言ったら、ケースの下から出してきて、バスの中で食おうとしたらどう見ても昨日の売れ残りである。

バス旅行の途中であったので、それに気が付いたときは高速を走ってるバスの中で、まあ、思い切りの一見さんということであろうが、おばさんだけにご家庭経済学が出たとしてもひどい話である。

また、祭りの屋台でも近所のシロートのおじさんが売ってるのを買ったら、だいぶ前に焼いてカラカラに乾ききったのを当たり前にあっためて売られたこともあるのである。

テキ屋さんはそんなことがないのである。

いわゆるダボシャツ系のファッションで気合満点の雰囲気のおじさんから、焼き上がるのを待っていて買うと実にこれがみごとなタコ焼きで、「ううむ、さすがははっきりとは言えない男を売るショーバイだけに、気合が入っていてよろしい」とあらぬ褒め方をしてしまうぐらいである。

それはそうと、ただのボールペンとあたしの渾身の大作「ぺちぺちくんの大冒険」の勝負は、ボールペン18いいね対ぺちぺちくん17いいねで拮抗した名勝負である。

そうはいってもただのボールペンに負けるのは悔しいので、そら豆もアップしてみたら、さすがに野菜は強くて怒濤の大敗である。

今回は何と勝負をしようかとつらつら鑑みるに、何もないのでありあわせのティッシュでどうだろうか。

勝負だ!

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の3

ということで、「ぺちぺちくんの大冒険」も3回目であるが、あいかわらずの楽屋ネタである。

「大冒険の1」では、たまたまジョギングの通りがかりで出会ったセーラー服のおじさんをアップしたら、「ぺちぺちくんの大冒険」がぼろ負けしてしまったわけである。

悔しいので、「大冒険の2」では、通りがかりの道路際のフランスギクにたかっていたアリを撮って、これならさすにが手間暇かけた漫画の方が「いいね」の数が多かろうとアップしてやったら、これがさらに火に油をそそぐボロボロ負けとなってしまったのである。

天才をもって自負するあたしの漫画よりもただのアリの写真の方が世間的には喜ばれるということである。

それでは今回はいったい何をアップしたらぺちぺちくんは勝てるのだろうかと悩む今日この頃である。

まあ、つまりは毎回穏やかでない展開が人気薄の原因であると薄々気が付いているが、なにしろアイデア5分、作画15分でネタを作るという、薄々のコンセプトであるので、これがなかなかあたしの薄々の才能をもってしてもうううだめだでたらめ打ってるから詰まってしまった。

今回はボールペンでも撮ってアップしてやろうと思ったが、ただのボールペンの写真に負けたら、さすがに立ち直れないような気もしないではないのである。

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の2

前回は大河連載漫画「ぺちぺちくんの大冒険」の第一回目のプロローグということではりきって得意の思いっきりのナンセンな展開であれこれしたら、思いっきりの駄々滑りである。

それをついでにネタにしてみたわけではないが、「ぺちぺちくんの大冒険の1」と同日にツイッターに上げたセーラー服のおじさんが意外なウケかたをしてたので、やはり組合関係は強いなあと改めて認識したわけである。

昨日、いつもの公園で太行功(たいしんこう)という名のただのジョギングをしてたら、なにやらセーラー服のおねーさんが三脚を立てて自分の写真を撮ってるのである。

それで、少し近寄ってみたら、これが、セーラー服のおばさんである。

さらにもう少し近寄ってみたら、これが、セーラー服のおじさんである。

さすがに面白いのでしばらく見てたら、しゃがんだり、スカートを広げたり、頬に指をあてたりと、あれこれポーズをとって、さらに、バックをあちこち変えたりして真剣に延々写してらっしゃるのである。

”おじさん”がである。

周囲にスタッフがいれば、「ああ、お笑い番組の収録か」と納得もするのであるが、なにしろ一人でおじさんがセーラー服でミニスカである。

こんな面白いものを間近でみれるのはまさに神の思し召し、千載一遇のあれこれである。

この公園に集まるのは、主に家族連れと老人の散歩という、平和の象徴みたいな穏やかな公園であるので、そこにセーラー服のおじさんである。

これは公園の管理の人も対処に腐心すると思うが、遠目にはおねーさんで、少し寄るとおばさんで、近くで見るとおじさんであるから、管理の人もよほど目がいいということでなければ、この事態には気が付かないわけである。

まあ、あたしら組合関係者は、見てすぐ、「おお、やってるやってる」と分かったわけであるが、散歩の一般シロートの人は誰も気が付かないらしく、普通に通り過ぎるか、写真撮影の邪魔にならないように足早に通り過ぎたりしてるのである。

誰が組合関係者だ。

組合ってなに?

しらんがな。

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の1

 

ううむ、いかんな、描いていて自分で爆笑してしまった。

とにもかくにも、ついに始まったぺちぺちくんの大冒険である。

構想5分制作15分の大作である。

あたしの全能力をかけて日本の民衆に訴えかけるあれこれの数々である。

文章もやっつけかよ。

さてさて、これからどんな大冒険が始まるのやら、描いてるあたしが楽しみであるが、プロローグからこれであるので、先行きは実にわけがわからんわけである。

それでもつづくかもしれないので、人間というものの底知れない脳の不可思議としか言いようもないのである。

何を言ってるのか自分でもわからんが、まあ、出たとこ勝負の才能だよりということである。

才能があればね~。

うるせーよ。

なにしろ大冒険であるので、荒野に出ればあちこちに恐ろしい敵あるいは怪物が潜んでいるかもしれないわけである。

あるいは美味い食い物やおねーちゃんが潜んでいるかもしれないので、そこはそれ、どうなることかわかったもんじゃないのである。

波乱万丈天変地異酒池肉林を併せ持った大活劇になるかもしれないが、ならないかもしれないのは言うまでもないことである。

乞うご期待!

だめかなこれは。

しらんがな。

あたしもプロの人気漫画家のはしくれであるので、やはり正面から漫画と向き合って、これからどんな世界を描くことが人生の方向性をいかんなく発揮することになるのか、真摯に思考しなければならないと本気で錯誤するわけである。

これだけ内容のない文章というのもある意味才能だな。

誰が人気漫画家だ、不人気漫画家の間違いだろ。

そこじゃないだろ。

それじゃ、どこ?

しらんがな。

やっぱりね~。

・象気功

社会常識とお笑いのギャップを考える・ぺちぺちくん150

まあ、なんである、まじめかどうかはそれを捉える人によるので、まじめにお笑いを考えていても、「ふざけやがって、不謹慎だ」と怒る人もおられるわけである。

別にこれといって意図したわけではないが、昨今の事情から鑑みれば「聞いてないよ~」も非常に不謹慎なネタと言われてもぷーの音もぴーの音も出ないのは言わずもがなである。

それはなんでかと言われても実にデリケートな問題を含んでいるので、ご想像に任せてとっとと先に行くのである。

このように、意図しないことが社会常識からみれば非常に不謹慎でバッシングの対象となる場合もあれこれあるわけである。

それを搔い潜りながらすれすれのところで笑いにするのが一流のプロ漫画家としての矜持であるが、そんなものさえ持ち合わせていないのが象師匠である。

それじゃバカじゃん。

バカで~~~~~~~~~~~~~~す。

お気に入りかよ。

誰が一流のプロの漫画家だ。

しらんがな。

無駄に尺をつなぐなよ。

やかましわ。

おまえはなにかのせーしんしっかんか。

それ言ったらあかん、怒られまっせ。

ひらがなだからえーやろ。

まあ、その、笑いというのは社会常識の裏返しであるし、元来の漫画の基本は時の権力者への庶民目線での揶揄あるいは批判であるので、どうしてもなんだかんだで差しさわりが出てくるのである。

また、昨今は容姿を笑いにすることは禁忌になりつつあって、デブもブスもチビも笑いのネタとしては使えないわけである。

それを自分自身で売り物にすることさえかなり困難な状況になってるわけである。

さらには、昨今テレビ番組では痛みをともなうお笑いネタはいっさい禁止というBPOのお達しで、たとえば熱湯風呂も熱々おでんネタもザリガニに鼻を挟ませてイテテテテなんてネタもできなくなってしまったわけである。

もちろん、根底にはいじめを助長する可能性のあるものは回避しなければならないということがあるわけである。

そのうち漫画も痛みをともなう笑いはダメなんて言われかねないので、それじゃいったい何をネタにすりゃいいのかという事態である。

しかし、そこはそれ、その状況こそが天才象師匠の腕の見せ所であるが、いずれにしても、あたしらお笑い芸人は非常に囲われた中でのネタ作りに腐心しなければならないという状況に置かれて、たははのはっはっはーっである。

次回からぺちぺちくんの大冒険が始まるよ~~~~~っ。

あーそうかよ、そりゃよかったな。

本気かよ。

しらんがな。

・象気功

ナンセンス漫画のテクニック・ぺちぺちくん149


ある意味で才能の無駄遣いだな。

なに言ってるの?

しらんがな。

ううむ、しばらくぶりに漫画を描いてみたらば、またぞろイラストアプリの使い方をすっかり忘れて四苦八苦である。

プロの人気漫画家としては実に恥ずかしいことであるが、人間の脳は使わないところから退化して、使うところが進化するのは生命体として当然の成り行きであるから、あたしもその威力におののくばかりである。

日本語になってねーぞ。

誰がプロの人気漫画家だ。

遅せーよ。

いずれにしてもろくな漫画ではないので、これを人目にさらすのは実に面はゆい限りであるが、それもこれも神のお告げであるのでいたしかたないのである。

なんでもかんでも神のお告げでごまかしていると、そのうち神のお告げでわやくちゃになるのである。

何が?

しらんがな。

じゃかましわ。

バカなの?

バカで~~~~~~~~~~~~~~~~す。

日本から出て行けーっ。

てなことであるが、いわゆるボケ倒しということである。

ナンセンス漫画の重要なテクニックのひとつである。

嘘つけ。

もうしわけありません、わたくし嘘をついてしまいました。

神のお告げに嘘もへったくれもあるかい、どーせ口から出まかせやがな。

こらこら。

実のある話はないんかい。

ないな。

何にもない。

ちゃんりゃん。

りゃんになっとるがな。

ほんとだ、でも直しませんよ。

笑いの気功効果・ぺちぺちくん148

 

もちろん笑いは健康のもとであるので、漫画の笑いも気功法の一環と考えても間違いではないわけであるが、漫画ブログとしてはいかがなものかとそれなりにお悩みになるのである。

そうはいってもぺちぺちくんの場合は読む者の気持ちを逆なでするのがコンセプトであるので、コンセプトが好っきやなー、うるせーよ、えーとなんだっけ、ああそうか、ぺちぺちくんの笑いが健康のもとになるかどうかは微妙である。

描いてるあたしは絵も文章も考えるので、右脳も左脳も実に快適にお使いになるのである。

まあ、快適といっても基本が30分で描くというコンセプトであるので、またコンセプトかよー、ほかに言葉を知らねーのよ、やかましわ、ちゃんちゃん。

終わらせるなよ。

えーと、何を書こうとしてたんだっけかね?ああ、コンセプトだ、ちゃうやろ、ちゃんちゃん。

だから終わらせるなよ。

まあ、こんなとこかな。

尺がぜんぜん足りないのでなんかさらにネタはなかろうか。

ああ、先日車で通りがかった公園で遊んでる子供が何やら見たことのある半纏を着てたのである。

鬼滅の緑のあれである。

刀を持って何やらやっていたので、どう考えても鬼滅ごっこである。

つまり、おもちゃとして鬼滅セットを売ってるということであると推察するが、そりゃ猫もしゃくしも鬼滅であるから、それをおもちゃメーカーが商売にしないわけもないわけである。

それを正月のお年玉で買ったのか、去年の暮れのクリスマスのプレゼントであったのかわからんが、なんにしても鬼滅の経済効果は莫大であるなあということが、あたしみたいなアニメに興味のないものにもわかるのである。

鬼滅ゲームもあるのかね?

「鬼滅の刃 ヒノカミ血風譚」「鬼滅の刃 血風剣戟ロワイアル」

あるな。

当たり前である。

でも買う気はいっさいない。

ないのかよ。

ない、絶対にない、自信をもって絶対にない。

終わり。

いやん。

象気功

新年のご挨拶と行きだおれ・ぺちぺちくん147

2022年寅年最初のぺちぺちくんである。

まあ、なんである、なんの反省もなく、結局のところ行きあたりばったりのネタである。

そりゃまあ、神のお告げを頼りに脳神経細胞活性化を目的として30分以内に漫画を描くという、左脳も右脳も極限に酷使する実に脳に過酷な創作作業であるので、てきとーになるのは致し方ない所業である。

なにしろ30分以内であるから、アイデアもネームも絵コンテもなく、タブレットの某アイビスてなお絵かきソフトのアプリでダイレクトにいきなり指でペン入れであるから、そらいいかげんになるわけである。

それでもそこそこのクオリティであるから、チャクラ覚醒による能力開発は象気功メソッドの独壇場と言わざるを得ないのである。

そこそこの漫画と、そこそこの生け花と、そこそこの俳句と、そこそこの駄文と、IQ200のそこそこの論理能力と、IQ160のそこそこの図形認識能力と、IQ72のそこそこの境界知能の数理力と、そこよそこそこあらうふんてな具合で、この先いかなる能力が開花するのか、象気功メソッドあな恐ろしや。

誰がシモネタだ。

しかしこれ、指先でペン入れということは、身体の中で指先はもっとも鋭敏な神経が張り巡らされた部分のひとつであるから、脳神経細胞ニューロンシナプスへの影響は大きく、思考による電磁波パルスのあれこれとともにホルモンは限りなく放出されて日本の未来に一点の光明をかざすため光明真言をわめきつつ近所をパンツいっちょで走り回りうううめちゃくちゃになってしまった。

まあ、とにかく今年もぺちぺちくんは縦横無尽の大活躍ですさんだこの世浮世に笑いの灯をともすはずであるが、あくまても「はず」であって、ぺちぺちくんの都合もあるので、確約はできかねるのは言うまでもないことである。

「笑い」は人間だけが持っている高度な脳機能のひとつであるので、笑いを演出してこその男冥利であるが、もちろん男冥利は男性優位社会男女差別にかかわるよろしくない語彙であるので、即刻撤回いたしまう。

「いたしまう」のかよ。

打ち間違いだったら。

嘘つけ。

申し訳ありません、わたくし、無理に笑いをとろうとして嘘をついてしまいました。

ちゃんちゃん。

今年もこんなかよ。

こんなだよ。

かくのごとく文章までてきとーではいかんともし難いあれこれであるが、えーと、なんか書くネタはないかな?

あるわけないが、それでも何か書かないと尺が埋まらないので、つらつらキーボードを打ちながらネタが出るのを待つのである。

いわばしゃべりながらしゃべるネタを考えてるわけであるから、ある意味自転車操業のていをなしてるわけである。

こんなことをできるのもキーボードを発明してくれた人がおられたからで、あたしはただその恩恵にあずかりハイパーグラフィアとしての使命をまっとうすることに専念できるのである。

ありがたいありがたい。

これでは漫画よりも後書きを書くのに時間がかかってしまうので、とにかくなんでもいいから、まとまったネタはないもんかと思案するに、ないな。

ないのかよ。

終わり。

続きは象気功で。

だから続かねーだろ。