人間の本質とは何か?・ぺちぺちくん141

象気功

確かにぺちぺちくんはろくでなしである。

しかしながら、こんなぺちぺちくんにも夢があるのである。

それは「地球上から争いをなくす」という夢である。

うそだよ~ん。

二重三重にろくでなしである。

デルタが感染爆発してるが、本家のインドでは感染力が強いデルタのおかげで国民の多くが感染して、お粗末な医療体制で死ぬものが死んで集団免疫獲得で収束に向かってるということである。

つまり、東京のデルタ感染爆発も都の発表の数倍数十倍の感染者がいるはずだから、本家のインド同様にいつのまにか集団免疫獲得で収束に向かう可能性もあるかもしれんかもしれんのであるかもねである。

これは日本全国でも同様である。

もちろん、東京都の医療が逼迫あるいは崩壊寸前とはいえ、インドとは比較にならない医療体制であるから死者は格段に少ないだろうから、感染爆発も目くじら立てて国や都の失政を非難することでもないかもしれんかもしれんかもねである。

いや、しらんけど。

しらんのかよ。

思い付きの世間話やがな。

そらそうだ。

まあ、それはそうと、これもあたしの思い付きなので根拠もないが、歩くよりも走る方が顕著に眠れるのは、着地の時の衝撃が走る方が大きいために、足の裏の細胞の破壊と修復でホルモンが分泌されるからかもしれんというあたしの勝手な仮説についての話である。

気功用の底の薄い靴を履いて走ると、ドシン、ドシンと足の裏が地面に着くのがよくわかるのである。

走るのに比較して歩いてるときはこの衝撃がほぼ無いのである。

そのせいかどうか、仕事で歩き回ってもそんなに睡眠効果はないが、夕方に軽く走っても睡眠の状態が格段に良くなるのである。

いわゆる運動と労働が違うというのは足の裏の細胞の破壊修復の度合いが違うということかもしれんわけである。

もちろん文献を読んだわけでもないし、めんどくさいので調べるわけもないので、単なるあたしの勘であるから信憑性はまったくないのは言うまでもないことである。

しかし、若いときは睡眠物質が大量に出るのでわからんだろうから、睡眠において歩くと走るの違いがわかるというのは、睡眠物質が枯渇して眠りの浅いあたしら年寄りに与えられた特権のひとつかもしれんわけである。

誰かが老人力と言ってたが、ああ、赤瀬川さんだっけかな、まあいいや、つーことで今日もやらないよりマシの範囲内で走るわけである。

ちゃんちゃん。

だから、いらんだろ。

その場しのぎの人生・ぺちぺちくん140


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なにしろてけてけである。

てけてけが何かはあたしにだってわからんのは言うまでもないことであるが、いつもの通り口から出まかせ状態でネタが始まったのも言うまでもないことである。

え~と、なんだっけ?

日本もいよいよデルタ爆発で、さらにオリンピックで持ち込まれたラムダも拡がればいやおうなく未曾有の危機を迎えんとするわけであるが、ロックダウンが現実的でないお国柄の都合上、この先は医療切迫、自宅療養死者続出てなにっちもさっちもいかない方向に驀進するのか、ワクチン反対バカはさておいて、奇跡的にワクチンが行き届いて数ヶ月でそれなりに収束するのか、果たして天国か地獄かお楽しみは尽きないわけである。

誰がお楽しみだ。

尺稼ぎにコロナネタを振ってみたわけであるが、膨らまないことおびただしく、あたしもどうしていいのかわからんあれこれである。

なんやこれ、日本語になっとらんがね。

この先も身のある話が出てくる様子もないので終わり。

終わるなよ。

まあなんである、何がどうなろうがなるようにしかならんのであるから、ここはひとついるのかいないのかわからん神様のゆーとーりということで、お気楽に構えてこの先の日本の行く末を見据えて後世の糧としたいところである。

書いてる本人にも意味が全くわからない。

バカなんじゃなかろうかと思うが、もちろんこれも神のお告げであるのであたしは書かされているということがそこはかとなくあれこれするのである。

内容がないよう。

ならやめりゃいいもんであるが、ここでやめると史上最強の霊能駄文師の沽券にも股間にもかかわるのである。

なにしろこの世の霊という霊を束ねる力を授けてくれた神の小間使いとしてのお役目を果たすべく、神の言葉を書き連ねてぷりぷりうっふんあらいや~んである。

小間使いかよ。

ああ、信者が逃げて行く。

そら逃げるわ。

ううむ、なんにもネタがないとこうなるな。

ぺちぺちくん139・チンケな人間の改善策


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こんなネタに誰がしたというあいかわらずの情けない展開であるが、そこはそれ読者の叡智を結集しておもしろおかしく読み砕いていただきたい。

何を言ってるのかあたしにも定かでないが、たかが落書きであるのでどーでもいいのである。

誰が落書きだ。

さて信者から「チンケな人間の改善策を」というリクエストであるので、解説するわけである。

まあ、簡単に言うと、自分で「自分はチンケである」と気がついた時点でおおむね改善しているのである。

自分が何者かわかるということは実にこの世に生きとし生けるものの命題であるが、ううう、くだらん、死にそうだ。

ところがチンケ人間は自分がチンケ人間であるということに気がつかないのである。

チンケ人間ってなんだよ。

しらんがな。

たまさかにあたしの書いた神のお告げという名の口から出任せを読んで、「なるほど自分はチンケである」と気がついたと自分では思っても、心の奥底では「いいや、そんなことがあるはずがない、象師匠なんてホラ吹きのいうことは嘘に決まってる、本当の自分は大物であるのは間違いない」と認めないのでやはり一生をチンケで終えるのである。

人間はそのようにできているのである。

自分が救いようのないチンケ人間であると心底から認めることは「人生に絶望する」ということである。

そうなれば生きる意味がなくなってしまうのである

そうならないように、脳がそのように意識を保つようにできているのである。

だからどうやってもこうやっても心底から自分がチンケであると認めることはないのである。

つまり、チンケ人間の改善策は「バカは死ななきゃ治らない」ということである。

ちゃんちゃん。

終わるなよ。

たとえばネットはチンケ人間の見本市みたいなもんである。

自分がいっぱしの大物だと勘違いしてるチンケ人間がえらそーにあれこれとんちんかんで愚にもつかない自説を開陳したり、なんら非のない相手にも上から目線で誹謗中傷の限りをつくしたりしてお楽しみになるわけである。

チンケとバカは同義語であるので、自分が何の役にも立たない低知能であると気が付くわけもないが、ネット以前はなんの発言権もなかったチンケなバカが知識人などと同等に発信できることになって、もちろん数パーセントの高知能よりも圧倒的にあたしらチンケでバカで低知能の方が数が多いので、状況はもう支離滅裂な混沌状態になっているわけである。

ニュースサイトなんぞもチンケなライター満載でプロにあるまじき誤字脱字はもちろん、的外れで意味不明の記事も多々あってバカバカしくなるが、もちろんあたしは極め付きのチンケ人間であるので、愚にもつかないチンケな記事を読みながら「ははは、バッカじゃねーの」なんてけなして日々お楽しみになるわけである。

チンケがチンケをけなして丸く収まるのである。

よかったよかった。

てきとーに終わるなよ。

だってチンケなんだからしょーがないじゃん。