確かにぺちぺちくんはろくでなしである。
しかしながら、こんなぺちぺちくんにも夢があるのである。
それは「地球上から争いをなくす」という夢である。
うそだよ~ん。
二重三重にろくでなしである。
デルタが感染爆発してるが、本家のインドでは感染力が強いデルタのおかげで国民の多くが感染して、お粗末な医療体制で死ぬものが死んで集団免疫獲得で収束に向かってるということである。
つまり、東京のデルタ感染爆発も都の発表の数倍数十倍の感染者がいるはずだから、本家のインド同様にいつのまにか集団免疫獲得で収束に向かう可能性もあるかもしれんかもしれんのであるかもねである。
これは日本全国でも同様である。
もちろん、東京都の医療が逼迫あるいは崩壊寸前とはいえ、インドとは比較にならない医療体制であるから死者は格段に少ないだろうから、感染爆発も目くじら立てて国や都の失政を非難することでもないかもしれんかもしれんかもねである。
いや、しらんけど。
しらんのかよ。
思い付きの世間話やがな。
そらそうだ。
まあ、それはそうと、これもあたしの思い付きなので根拠もないが、歩くよりも走る方が顕著に眠れるのは、着地の時の衝撃が走る方が大きいために、足の裏の細胞の破壊と修復でホルモンが分泌されるからかもしれんというあたしの勝手な仮説についての話である。
気功用の底の薄い靴を履いて走ると、ドシン、ドシンと足の裏が地面に着くのがよくわかるのである。
走るのに比較して歩いてるときはこの衝撃がほぼ無いのである。
そのせいかどうか、仕事で歩き回ってもそんなに睡眠効果はないが、夕方に軽く走っても睡眠の状態が格段に良くなるのである。
いわゆる運動と労働が違うというのは足の裏の細胞の破壊修復の度合いが違うということかもしれんわけである。
もちろん文献を読んだわけでもないし、めんどくさいので調べるわけもないので、単なるあたしの勘であるから信憑性はまったくないのは言うまでもないことである。
しかし、若いときは睡眠物質が大量に出るのでわからんだろうから、睡眠において歩くと走るの違いがわかるというのは、睡眠物質が枯渇して眠りの浅いあたしら年寄りに与えられた特権のひとつかもしれんわけである。
誰かが老人力と言ってたが、ああ、赤瀬川さんだっけかな、まあいいや、つーことで今日もやらないよりマシの範囲内で走るわけである。
ちゃんちゃん。
だから、いらんだろ。