ぺちぺちくんの大冒険の3

ということで、「ぺちぺちくんの大冒険」も3回目であるが、あいかわらずの楽屋ネタである。

「大冒険の1」では、たまたまジョギングの通りがかりで出会ったセーラー服のおじさんをアップしたら、「ぺちぺちくんの大冒険」がぼろ負けしてしまったわけである。

悔しいので、「大冒険の2」では、通りがかりの道路際のフランスギクにたかっていたアリを撮って、これならさすにが手間暇かけた漫画の方が「いいね」の数が多かろうとアップしてやったら、これがさらに火に油をそそぐボロボロ負けとなってしまったのである。

天才をもって自負するあたしの漫画よりもただのアリの写真の方が世間的には喜ばれるということである。

それでは今回はいったい何をアップしたらぺちぺちくんは勝てるのだろうかと悩む今日この頃である。

まあ、つまりは毎回穏やかでない展開が人気薄の原因であると薄々気が付いているが、なにしろアイデア5分、作画15分でネタを作るという、薄々のコンセプトであるので、これがなかなかあたしの薄々の才能をもってしてもうううだめだでたらめ打ってるから詰まってしまった。

今回はボールペンでも撮ってアップしてやろうと思ったが、ただのボールペンの写真に負けたら、さすがに立ち直れないような気もしないではないのである。

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の2

前回は大河連載漫画「ぺちぺちくんの大冒険」の第一回目のプロローグということではりきって得意の思いっきりのナンセンな展開であれこれしたら、思いっきりの駄々滑りである。

それをついでにネタにしてみたわけではないが、「ぺちぺちくんの大冒険の1」と同日にツイッターに上げたセーラー服のおじさんが意外なウケかたをしてたので、やはり組合関係は強いなあと改めて認識したわけである。

昨日、いつもの公園で太行功(たいしんこう)という名のただのジョギングをしてたら、なにやらセーラー服のおねーさんが三脚を立てて自分の写真を撮ってるのである。

それで、少し近寄ってみたら、これが、セーラー服のおばさんである。

さらにもう少し近寄ってみたら、これが、セーラー服のおじさんである。

さすがに面白いのでしばらく見てたら、しゃがんだり、スカートを広げたり、頬に指をあてたりと、あれこれポーズをとって、さらに、バックをあちこち変えたりして真剣に延々写してらっしゃるのである。

”おじさん”がである。

周囲にスタッフがいれば、「ああ、お笑い番組の収録か」と納得もするのであるが、なにしろ一人でおじさんがセーラー服でミニスカである。

こんな面白いものを間近でみれるのはまさに神の思し召し、千載一遇のあれこれである。

この公園に集まるのは、主に家族連れと老人の散歩という、平和の象徴みたいな穏やかな公園であるので、そこにセーラー服のおじさんである。

これは公園の管理の人も対処に腐心すると思うが、遠目にはおねーさんで、少し寄るとおばさんで、近くで見るとおじさんであるから、管理の人もよほど目がいいということでなければ、この事態には気が付かないわけである。

まあ、あたしら組合関係者は、見てすぐ、「おお、やってるやってる」と分かったわけであるが、散歩の一般シロートの人は誰も気が付かないらしく、普通に通り過ぎるか、写真撮影の邪魔にならないように足早に通り過ぎたりしてるのである。

誰が組合関係者だ。

組合ってなに?

しらんがな。

象気功

ぺちぺちくんの大冒険の1

 

ううむ、いかんな、描いていて自分で爆笑してしまった。

とにもかくにも、ついに始まったぺちぺちくんの大冒険である。

構想5分制作15分の大作である。

あたしの全能力をかけて日本の民衆に訴えかけるあれこれの数々である。

文章もやっつけかよ。

さてさて、これからどんな大冒険が始まるのやら、描いてるあたしが楽しみであるが、プロローグからこれであるので、先行きは実にわけがわからんわけである。

それでもつづくかもしれないので、人間というものの底知れない脳の不可思議としか言いようもないのである。

何を言ってるのか自分でもわからんが、まあ、出たとこ勝負の才能だよりということである。

才能があればね~。

うるせーよ。

なにしろ大冒険であるので、荒野に出ればあちこちに恐ろしい敵あるいは怪物が潜んでいるかもしれないわけである。

あるいは美味い食い物やおねーちゃんが潜んでいるかもしれないので、そこはそれ、どうなることかわかったもんじゃないのである。

波乱万丈天変地異酒池肉林を併せ持った大活劇になるかもしれないが、ならないかもしれないのは言うまでもないことである。

乞うご期待!

だめかなこれは。

しらんがな。

あたしもプロの人気漫画家のはしくれであるので、やはり正面から漫画と向き合って、これからどんな世界を描くことが人生の方向性をいかんなく発揮することになるのか、真摯に思考しなければならないと本気で錯誤するわけである。

これだけ内容のない文章というのもある意味才能だな。

誰が人気漫画家だ、不人気漫画家の間違いだろ。

そこじゃないだろ。

それじゃ、どこ?

しらんがな。

やっぱりね~。

・象気功

社会常識とお笑いのギャップを考える・ぺちぺちくん150

まあ、なんである、まじめかどうかはそれを捉える人によるので、まじめにお笑いを考えていても、「ふざけやがって、不謹慎だ」と怒る人もおられるわけである。

別にこれといって意図したわけではないが、昨今の事情から鑑みれば「聞いてないよ~」も非常に不謹慎なネタと言われてもぷーの音もぴーの音も出ないのは言わずもがなである。

それはなんでかと言われても実にデリケートな問題を含んでいるので、ご想像に任せてとっとと先に行くのである。

このように、意図しないことが社会常識からみれば非常に不謹慎でバッシングの対象となる場合もあれこれあるわけである。

それを搔い潜りながらすれすれのところで笑いにするのが一流のプロ漫画家としての矜持であるが、そんなものさえ持ち合わせていないのが象師匠である。

それじゃバカじゃん。

バカで~~~~~~~~~~~~~~す。

お気に入りかよ。

誰が一流のプロの漫画家だ。

しらんがな。

無駄に尺をつなぐなよ。

やかましわ。

おまえはなにかのせーしんしっかんか。

それ言ったらあかん、怒られまっせ。

ひらがなだからえーやろ。

まあ、その、笑いというのは社会常識の裏返しであるし、元来の漫画の基本は時の権力者への庶民目線での揶揄あるいは批判であるので、どうしてもなんだかんだで差しさわりが出てくるのである。

また、昨今は容姿を笑いにすることは禁忌になりつつあって、デブもブスもチビも笑いのネタとしては使えないわけである。

それを自分自身で売り物にすることさえかなり困難な状況になってるわけである。

さらには、昨今テレビ番組では痛みをともなうお笑いネタはいっさい禁止というBPOのお達しで、たとえば熱湯風呂も熱々おでんネタもザリガニに鼻を挟ませてイテテテテなんてネタもできなくなってしまったわけである。

もちろん、根底にはいじめを助長する可能性のあるものは回避しなければならないということがあるわけである。

そのうち漫画も痛みをともなう笑いはダメなんて言われかねないので、それじゃいったい何をネタにすりゃいいのかという事態である。

しかし、そこはそれ、その状況こそが天才象師匠の腕の見せ所であるが、いずれにしても、あたしらお笑い芸人は非常に囲われた中でのネタ作りに腐心しなければならないという状況に置かれて、たははのはっはっはーっである。

次回からぺちぺちくんの大冒険が始まるよ~~~~~っ。

あーそうかよ、そりゃよかったな。

本気かよ。

しらんがな。

・象気功

ナンセンス漫画のテクニック・ぺちぺちくん149


ある意味で才能の無駄遣いだな。

なに言ってるの?

しらんがな。

ううむ、しばらくぶりに漫画を描いてみたらば、またぞろイラストアプリの使い方をすっかり忘れて四苦八苦である。

プロの人気漫画家としては実に恥ずかしいことであるが、人間の脳は使わないところから退化して、使うところが進化するのは生命体として当然の成り行きであるから、あたしもその威力におののくばかりである。

日本語になってねーぞ。

誰がプロの人気漫画家だ。

遅せーよ。

いずれにしてもろくな漫画ではないので、これを人目にさらすのは実に面はゆい限りであるが、それもこれも神のお告げであるのでいたしかたないのである。

なんでもかんでも神のお告げでごまかしていると、そのうち神のお告げでわやくちゃになるのである。

何が?

しらんがな。

じゃかましわ。

バカなの?

バカで~~~~~~~~~~~~~~~~す。

日本から出て行けーっ。

てなことであるが、いわゆるボケ倒しということである。

ナンセンス漫画の重要なテクニックのひとつである。

嘘つけ。

もうしわけありません、わたくし嘘をついてしまいました。

神のお告げに嘘もへったくれもあるかい、どーせ口から出まかせやがな。

こらこら。

実のある話はないんかい。

ないな。

何にもない。

ちゃんりゃん。

りゃんになっとるがな。

ほんとだ、でも直しませんよ。