ぺちぺちくん10・象気功年末年始休業のお知らせ


象気功年末年始休業のお知らせ

2019年12月29日(土)~2020年1月4日(土)

関東地方山間部では霜柱もそここに垣間見る昨今、信者の皆様方にはご健勝のこととお喜び申し上げます。

さて、なんだかんだあった今年も押し詰まりまして、象気功の業務はひとまず本年12月28日にて終了し、正月休みも含めて新年1月5日の初荷となります。

今後ともあいかわらずのごひいきをお願いいたしましてご挨拶といたします。

象形流気功法宗家 象師匠 九拝

ぺちぺちくん9・パワハラとモラハラ


まあ、ここのところ世間的にはジャガーさんのダンナの木下さんのパワハラが人気であるが、濱田さんにモラハラされたと言い張る織田さんの裁判の行方もなかなか香ばしいものがあるあれこれであるわけである。

パワハラはわかりやすいがモラハラはいまひとつわかりかねるハラスメントであるので、ナンセンスとしてはこちらかなと思ったしだいであるが、それもナンセンスかなと思うあれこれである。

ここ数年訴訟のハードルが下がって、お気軽に訴えようてな風潮がなきにしもあらずで、まあ、このおママンが自体が差しさわりのあるネタが満載であるので、信者以外は見てなかろうと高をくくっていると、どこからてっぽー玉がとんでくるかわからんのが昨今のあれこれである。

まあ、できるだけ穏便なネタにしたいが頭の奥からそうもいかのきゃんたまぶくろてな声も聞こえるあれこれであるので、ううむ、意味が解らん。

こんなくだらん話で誰がおもしろいのかねと反省するふりをしてなんとかオチをあれこれ探すわけである。

しかしこれがね、オチが簡単にみつかればお笑い芸人は苦労しないのは明白であるが、さらに何を言ってるのか意味不明なあれこれである。

聡明な信者はお察しの通り、年末で忙しいのでとにかく尺を稼ぎたいだけの後書きであるので、内容は無いようという使い古したあれこれである。

あれこればかりのあれこれかよ。

落ち着いたら書き直そう。

無理だろ。

ぺちぺちくん8・探偵さんを探偵する


以前に我が家の前にある古いアパートを薄い色のサングラスをかけた探偵さんらしき人が張り込んでいて、その人の見かけというのかファッションがその筋の人みたいでそうとう怪しいのでおもしろくてしばらく見てたことがあるのである。

木立の陰に隠れてうろうろしたりしてるのであるが、昼になると近所のコンビニで弁当買ったりして、木の下に腰かけてお召し上がりになったりしてるのである。

そうとうずさんな張り込みであるので、探偵というよりはもしかすると借金取りの張り込みかもしれなかったのである。

いずれにしても聞くわけにもいかないので、あたしは用もないのに入口から出たり入ったりして、さらに出かけるふりをして帰ってきたりと様子を窺っていたのであるが、夜になっても張り込みは続いて、次の日にはおられなかったので、結果がどうなったのかは不明である。

日々の仕事はつまらんが、どーでもいいことは実におもしろいのである。

そのあと、国際課の刑事さんが来て、うちのガレージに機材を入れたプラスチックのコンテナを置いてあれこれ設定して庭木にカメラをつけたりして、そのアパートを見張っていたのであるが、おそらく不法滞在の摘発かもしれないな、なんて推理してるうちに数日で撤収なされたのである。

そのアパートは築30年以上であるので、老朽化で現在建て替え中であるが、新築であると怪しい人はもうご入居なされないかもしれないので実に残念である。

ぺちぺちくん7・鳥は非常に知能指数が高いそうである


鳥は非常に知能指数が高いそうであるので、猿の成れの果てであるあたしらの代わりに鳥の成れの果ての「何ものか」が地球上を支配していた可能性もあるそうである。

この「何ものか」が空を飛べるのかどうかはわからんが、飛べればまた文明も文化も現在とは大違いで、飛行体が交通手段の主体であろうし、宇宙への進出はさらに早まったわけである。

しかしそうではなく、寒冷化や小惑星の衝突などの数々の危機を乗り越えて哺乳類が奇跡的に絶滅することなく生き延びて、鳥ではなくあたしらが地球上の支配者となったことに、やはり神の思し召しをひしひしと感じて、神の成り替わりであるわが身を尊び、なにごとも慎まねばと思う今日この頃である。

おためごかしはやめろ。

じゃかましわボケ、年末で忙しいんじゃ。

ぺちぺちくん6・この世はなにが起きるかわからん


ううむ、100回までは毎日連載を続ける予定であったが、さすがに年末で仕事が立て込んでる上に、近所の人からオタクの木が道路に倒れて道を塞いでると電話があって、あわててチェーンソー持って行ったら、普段使わないからぜんぜんエンジンがかからなくてスターターロープを50回ぐらい引いたらものすごく疲れて、あきらめてのこぎりでギコギコ切ってかたづけたら、さすがの体力自慢の象師匠も疲れ果ててギブアップでアップロードが途切れてしまったのである。

文章がなげーな。

毎日連載が途切れたのは実に残念であるが、かくのごとく史上最強と言い張る天才霊能気功師のあたしでも、まことにこの世はなにが起きるかわからんので、計画てなものはまったくあてにならないのである。

もちろんこの連載も象気功のもっとー通りに「てきとーいいかげん」が大前提であるので、あたし的には途切れても途切れなくてもどーでもいいわけであるが、毎日見に来られる信者の皆様方には大変申し訳ない限りである。

まあ、それで今夜は昨今の研究ではいたかどーだかもあやしいクライストさんのお誕生日のクリスマスイブであるが、敬虔な仏教徒であるあたしはやっぱり昨今の研究ではいたかどーだかわからないお釈迦様の教え通りになにごともこだわらずになんでもありで受け入れる所存であるので、みごとにクリスマスネタもやっちまうわけである。

てなことである。

ぺちぺちくん5・夜道に迷うあたし


まあ、これ、一度書いたことがあるが、あたしは車を運転しているときに道をすぐ忘れるのであるが、歩いていてもときどき道に迷うのである。

それは近眼なのにふだん眼鏡をかけないことにも原因があるのである。

眼鏡がうっとうしいし、コンタクトは当然、角膜等によろしいわけはなかろうし、てなあれこれの理由で眼に関わる氣道を修正して、0.01以下のド近眼で闇の中手探り状態から0.3程度の中近眼で湘南の水の中透明度がいまひとつてなぐらいに治したのである。

ううむ、ひねくりすぎて意味不明の文章になってるかもしれないが、とっとと先にいくのである。

まあ、あたし同様の強度の近眼の場合は氣道の形状を変えるとともに眼球の形状も当然変えるわけであるので、網膜剥離等のおそれもあるため、よゐこの気功マニアにはまったくお勧めはしませんが、チャクラ暴発を招いた無茶と並ぶ、あたしの言語道断気功無茶ぶりのひとつであるわけであるわけである。

それで無茶ぶりの結果、眼鏡なしでは歩くこともできない状態から、両目で0.7ぐらいで、昼間の明るい時間帯なら眼鏡をかけなくても運転できる程度の視力になったわけである。

それでも1.2てなピントの合った正常の範囲の視力の人からすれば、普段はひどくぼやけた景色で生きてるわけである。

つまりは、歩いてきた道の景色をはっきりと認識していないせいで、いちど周囲の景色がどこであるかわからなくなると、すべてが空白になって、迷子状態になるのである。

運転してるときに眼鏡をかけていても忘れるのであるから、世間がぼやけて見える状態で道に迷うと悲惨である。

これが夜であると近眼の方はご存知の通り、近眼は採光能力に難があるので、視力がガタっと落ちて、さらに手におえない状況になるのである。

駅から仕事先に行って、帰りに何が何だかわからなくなって、駅はもちろん、仕事先に聞きに戻ろうにもどこにいるのかさえわからんので、不思議の国のアリスちゃん状態になったこともあるのである。

まあ、これ、昨今はスマホがあるし、ナビの精度も上がって、現在地も簡単にわかるし、道案内もしてくれるが、それ以前には夜の街であらいやんとなったことが何度かあるのである。

昼間なら歩いてる人もいるが、夜はだーれもいないときもあって、通りがかりの家にいきなり「こんばんは、道がわかりません」てなことを言って訪問すれば通報されるかもしれないのでそれも無理である。

商店があればなんとかなるのであるが、都内の商業ビルばかりが並んで取り付く島のない状況では、これ、夜の街灯ばかりが光って心細い限りである。

それでも人通りのない夜の街をあちこちうろうろして、奇跡的に駅の灯りが見えた時の安心感といったら、おそらく漂流者の気持ちはこんなんかなと思うていである。

都会のビル街で遭難する場合もあるわけである。

ねーだろ。

ぺちぺちくん4・お笑いは表現の自由がない方が面白い


まあ、2019年もあと何日かで終るわけであるが、今年もいろいろと芸能人の不祥事や犯罪やもめごとやスキャンダルがあったわけである。

その他にも政治経済社会にわたっていろいろと不祥事や犯罪やもめごとやスキャンダルがあったわけであるが、そっちの方はおもしろがってネタでいじくりまわすと、被害者もおられることであったり、あるいは政治信条がからんだりで、差しさわりが多すぎてシャレにならないことになる場合もあるわけである。

てなことで、どうしても芸能人のしにんの出ない程度のそこはかとないできごとをネタにしてみるわけである。

まあ、そこはかとないのは外野で傍観してるあたしらであって、本人にとってはそこはかどころか、にっちもさっちもいかない窮地かもしれないのである。

しかし、そこはそれ、芸能界で陰ひなたにあたしらの大枚のお布施を十分にお財布にしまったであろうから、まあ、多少いじってもよろしかろうという勝手な思い込みでいじくりまわすわけである。

もちろんこれでも毎回そうとう抑制してるわけであるが、リミッターをはずしたら露出は不可能になる不適切な表現ばかりになるので、てきとーいいかげんをもっとーとするあたしにもある意味多少の不満が残るのである。

そうはいっても、どうしてもリミッターをはずしたい場合は、どこかでまたトリエンナーレの津田さん的なもんがあったら参加して、世間様から罵詈雑言をいただくしかないわけである。

まあ、表現の自由だのなんだの言っても、あたしらお笑いの場合は、不自由があるからそのギリギリをいじくりまわしておもしろいのであって、全部自由ならおもしろくもなんともないかもしれないのである。

なんとかオチをつけたいがオチはありません。

ぺちぺちくん3・未来のお買い物


最近は都会あるいは地方に限らず、どこに行ってもスーパーやコンビニがあるわけである。

その結果、町の商店街の魚屋さんや肉屋さんや八百屋さんてなもんがなかなか成り立ちにくい状況になって、どこの商店街もいわゆるシャッターガラガラの店が多くなってるわけである。

だから、若年層になるにしたがって個人商店の記憶すらなくなって、そのうちこの漫画のネタが理解されなくなる日も来る可能性もあるわけである。

あたしも買い物はスーパーやコンビニというのが当たり前で、食品に限らずなんにしても最後に町の商店で買ったのがいつだったのかさっぱりわからんぐらい遠い記憶になってるのである。

中には町おこし的に商店街がにぎわってる所もあるが、お買い物というよりも観光食べ歩き的な成功であるとしか思えないのである。

昔のようにと言ってはなんであるが、本来の生活のための食品や雑貨や衣料てなもんを買うために行く商店は、この先絶滅危惧種的な方向であるのはまちがいないところであるので、ある意味さびしい限りである。

そのスーパーさえもどんどん進化して、うちの近所のスーパーでも昨今はセルフレジが当たり前である。

このまま生活自体がさらに高度に洗練されていくと、売り場からほとんど人間がいなくなる日もそう遠くないような気もするのである。

ときどき行く回転ずしではすでに受付がロボットくんだけだし、このままいくと売り場から人間が消えて、ロボットもふくめて機械だけという売り場ってどうなのかねしかし。

ああ、そうか、このままAIが進化すれば、ロボットが買い出しにいくこともあるだろうから、買う方もロボットになるかもしれないわけである。

あるいはスーパーもコンビニもなくなって、生鮮品も含めて全部ドローンも含めたロボットが運んでくるてな時代かよ。

すでに現在のあたしも、家電も衣料品も雑貨も家具も寝具もネットで買って宅配であるわけであるから、当然、そうなるよなー。

しかし、どう考えても、フードコートはなくならんだろうし、さらに巨大化するだろうから、あたしとしては実によろしい時代になるかもしれないわけである。

よかったよかった。

おまえ絶対にちのーに問題があるぞ。

大きなお世話だ。

ぺちぺちくん2・最近の文春も新潮も読むものがねー


ううむ、その場しのぎで描いたぺちぺちくんにすっかりはまってしまった感が否めないが、このことからも、なにがどこでどうなるかはまったくわかったもんじゃないのである。

まさに神の采配神の思し召しである。

文章もその場しのぎかよ。

まあ、このおママンがは稿料も発生するわけではないし、本を出す予定もまったくないので、練りに練ったアイデアなんてことではまったくないのはいうまでもないことである。

おもいっきり手抜きのいきあたりばったりで書き始めて、勝手に話ができて、ぺちぺちくんが勝手に活躍してるわけである。

そうなると、なんか飼ってるペットが遊んでるのを見てるようで、なんとなく愛着も出てきてしまうのである。

だからなんだといわれれば、とくにコメントはないのであるが、えーと、なんだっけ、なんか言いたいことがあったのであるが、まったく思い出せなくなってしまったのである。

ああ、そうだ、最近の文春も新潮も読むものがねーのである。

中の記事はまったく読みたいものもなくて、やふーにゅーすで十分である。

dマガジンてなのに登録してるので、大手の週刊誌は多少の抜けはあってもだいたい読めるのである。

しかし、最近読むのは、サンデー毎日の蛭子センセーの人間画報と文春の桜玉吉さんの日々我人間ぐらいである。

おいおい漫画だけかよ、ということではなくて、いくらレベルの低いもの好きのあたしでも蛭子センセーの漫画を読みたいわけではなく、もちろん文章を読むわけである。

漫画と比較するのはなんであるが、蛭子センセーの日常と心理がなかなかうまく書けていて、本人の人間性がうんぬんはともかくとして、やはり才能がそれなりにあれこれであるわけである。

それで、蛭子センセーが番組の収録で小指を骨折してしばらく連載がお休みになったときは読むものが玉吉さんのものだけになってしまったのである。

桜玉吉さんの連載は、あたしはときどき伊豆に遊びに行くので、なんとなく話に親近感があって読んでしまうのである。

でも、両方読んでも、文春に費やす時間は週に5分がせいぜいであるわけである。

新潮にいたっては、いちおう目次はチェックするのであるが、東野幸治さんの吉本の内輪ネタの連載が終ってからはまったく読むものがないのである。

それであれこれの週刊誌をあれこれ眺めていていつも思うのであるが、週刊誌のへっぽこなねーちゃんのぬーどはあたし的にはまったくいらんのである。

ふらいでーやふらっしゅやさいぞーてなもんになると、うっかりしてると半分ぐらいのページ数がへっぽこなねーちゃんのぬーどで占められているのであるが、ネットでとんでもないものでも見れるこの時代に、あれを目的に週刊誌を買う人がいるとも思えんが、もしかすると昔懐かしの袋とじ的なものをうはうはで楽しみにしてるおにーさんやおっさんがいるのかねしかし。

ついでに言うと、話はちがうが、映画やドラマのべっどしーんもいらんのである。

これも、とんでもないものも自由に見ることができる時代に、時間つぶしみたいなおためごかしのべっどしーんを入れる根拠がわからんのである。

それを見たいがために映画館に行ったりビデオを買ったりする人がいるとは思えんのであるが、売らんがなのための営業サイドの要望としても、監督の無能丸出し感満載で、ビデオや動画であればそこだけいつも飛ばすのである。

サスペンスもSFもホラーも時代劇も人情ドラマも、せーよくをかきたてたくて見てるわけではないのは当たり前であるので、話の腰がおられてうんざりするのである。

どうしても必要で表現しないと気がすまないと言うなら、ほんの一瞬でお願いしたいのである。

もう、始まりと終わりの一瞬だけにしていただきたいと思うわけであるが、そうもいかんといわれれば早送りで飛ばしてなかったことにするしかないわけであるが、映画館の場合は目をつぶって寝たふりするしかないわけである。

てなことで、最後に、けっしてあたしはLGBTの皆様にいかなる偏見も持ったりしてはおりませんということをきっぱりと宣言して本日のご挨拶とするのである。

いいわけかよ。

ぺちぺちくん・第一回目


ブログのタイトルに限らず、名前をつけるのはひと苦労で、検索するとたいていの名前は使用済みであるのである。

これ、最初は「もちもちくん」だったのであるが、どうもなんか聞いたことがあるなと思ってたら、その名前の菓子があるのである。

検索してみると、2語くりかえしの名前はもうほとんど使われていて、あれこれ考えてあれこれ検索して、この「ぺちぺちくん」がかろうじでヒットしないので、これになったわけである。

まあ、こんな漫画であるので、どーでもいいっちゃどーでもいいのであるが、そこはそれ、なにごとも日本の未来の子供たちのためのこの世の世直し立て直しとしての象気功であるので、ふにゃふにゃむにゃむにゃである。

でも、名前を付けてみるとなんとなく自分の分身的なあれこれがわいてきて、けっこう気に入ってしまったのである。

だから、このキャラクターもシリーズ化する可能性がそこはかとなくあるわけである。

いつものようにこんな漫画を読まされる方はたまったもんじゃないと思うが、あたし的にはまあまあ楽しめるのである。

話は変わるが、今、やふーにゅーすを見たら、ジャガー横田さんのダンナで医師でタレントの木下さんが「壮絶パワハラ」てなことで訴えられたそうである。

昨今はアメリカ式に「訴える」ことのハードルが大変低くなってきた感があって、誰でも気軽に訴訟を起こせるようになってきたのかもしれないのである。

まあ、あたしも経験があるので忸怩たる思いもあるが、大きい小さいにかかわらず人が権力を持つと、どうしても自分本位の言動行動が常態化してしまうのである。

自分のやりたい放題に気が付かないで馬鹿丸出しを続けて油断してると、せっかく築き上げた人生が、あっという間に崩落してしまう可能性があるわけである。

小学生でもスマホを持ってるのであるから、どこでもスマホで撮られてるということを常に意識におけば、アホな言動行動は少なくなると思うが、自分はまさかと思うのが人間の浅はかなところで、それも無理かもしれないのである。

これからは日本の弁護士もいい時代になるのかもしれないのである。

大きなお世話である。

ポツンと一軒家の子10


まあ、なんである、てきとーにつけた「4コマ漫画のおママンが」というタイトルがものすごくつまらんので、変えたいのである。

「神のお告げのおママンが」ううむ、恥ずかしい。

「心の友のおママンが」ううむ、もっと恥ずかしい。

「宇宙の調べのおママンが」ううむ、死にたくなる。

「魂浄化のおママンが」ううむ、救急車を呼ばれる。

「温暖化促進のおママンが」ううむ、あちこちから苦情が来る。

「げんぱつゼロのおママンが」ううむ、特定されて家に火をつけられる。

「馬鹿丸出しのおママンが」ううむ、これは少し恥ずかしくないがあたしの口癖であるのでつまらん。

「あおり漫画のおママンが」ううむ、けっこういいがキワモノになってしまう。

「おげれつ漫画のおママンが」ううむ、これはすごくいいが、検索してみるとおげれつたなかせんせーがおられるので不可。

てなことで、考えるのがめんどくさいので当分このまんまということになったのである。

なんやねんな。

オチのツッコミがありきたりかよ。

青春物語2


ううむ、まあ、なんだな、脳をどつくには日本国の法律で立派に認められたごーほーやくぶつのカフェインが一番であるが、やっぱりこれもやくぶつであるので、問題はあるのである。

当たり前であるが、出ないホルモンをむりやり出させるわけであるし、連日続ければどうしても耐性の問題で量が増して臓器に負担がかかり、疲弊して結局は不具合が出てくるのである。

そうはいっても現代社会では今日一日が勝負てな日々の連続で、あたしも史上最強の天才霊能気功師としての体面を保つためにも、脳のパフォーマンスを最大にしておきたい心持ちがあれこれするわけである。

このジレンマで悩むことがまた楽しいわけであるが、話はちがえ、田代さんやアスカさんやピエールさんや清原さんがどんどん深みにはまって、脳のドーパミン回路が壊れてしまった原因がそれなりによく理解できるのである。

脳を働かせるにはカフェインのほかに糖質でどつくという方法があるわけである。

しかし、これも肥満という、あたしにとってある意味この世でもっとも恐ろしい問題のひとつを引き起こすのである。

あたしはダンサーの端くれでもあるので、ブタカバトドの類いには絶対になれないのである。

だれがダンサーだ。

まあ、それで、従来よりハッカーの間では、こーらがカフェインと糖質の両方を備えた神の水といわれるゆえんでもあると思うが、ハッカーでないあたしもこっかこーらの1.5Lを常に備蓄しておる次第である。

こんなさんざん使ったループネタでいったい何を自慢してるんだという話であるが、もちろん自慢ではなく、今日はとくに後書きのネタを思いつかないということである。

ネタがない場合に無理やりネタを出すには、こっかこーらを飲めばいいわけであるが、漫画の後書きにそんなリスクを冒す理由はこれっぽっちもないのである。

これ、だめだろ。

チコちゃんとヤバイひと


以前のネタで、「お題目を20分唱えると冷蔵庫が買える」てなことを言い張るぱーがいるてな話をしたら、某ツイッターで「そんな人がいるのか?」てな疑問の書き込みがあったが、これは実はあたしが子どもの頃に体験した実話である。

某がっかいのおばーさんが折伏てな勧誘でうちにきて、父親と母親を前にして言うことには、「ご本尊様を信じて某お題目を毎日20分唱えれば冷蔵庫が買えるよ」とおっしゃられたので、子供心に「んなアホなー」と大爆笑してそのおばーさんに怒られたのである。

まあ、今考えるとあたしが小学生であったので、おばーさんといっても40代後半ぐらいの人であったと思うが、やせぎすで枯れ果てた顔色で、いい暮らしをしてるとも思えないどーみても明らかなびんぼー人であるので、あたしは子どもながらに、ナンセンスな理屈に大笑いしてしまったわけである。

そのことが脳裏に残っていて、今でもときどき思い出して大笑いしてしまうので、ネタに使ってみたわけであるが、昨今の折伏でそんなことを言うおばーさんはいないかもしれないのである。

まあ、神のお告げで氣の体になりコトタマの反応部位のあれこれがわかってみると、なんみょーほーれんげーきょーにもなんまんだぶにもそれなりにご立派な効果はあるわけであるが、「冷蔵庫」が買えるかどうかはなんとも言えないのである。

まあ、びんぼー人であるそのおばーさんが一番欲しいものが冷蔵庫であったとすれば、「泣ける話」である。

なむなむ。

ポツンと一軒家の子9


まあ、仕事で一か月ぶりに中央道を通って国立から甲府まで来たが、トラックがあおってこないことにおどろいちゃったのである。

スマホを代表とするながら運転が12月から禁止になって、罰則が厳しくなったのとなんか関係があるのかねしかし。

あたしは何がなんでも安全運転で、軽に抜かれるバカベンツてなぐらいの80キロ限定の高速道路走行である。

だから、いつもはトラックがべったりあおってくるのであるが、今日はまったくあおられないどころか、前を走ってる数台のトラックが70キロ走行で、先頭のトラックを追い越す気配もないのである。

トラックがどれもこれも抑えた速度で、マナーよく走ってるとしか思えない状態であるが、あたしの気のせいかもしれないかもしれないのである。

まあ、近々法改正されてあおり運転が厳罰になるてな話はもう誰でも知ってることであるので、そうなるとプロドライバーの方は今まで通りではうっかりすると職を失うてなことにもなりかねないわけであるから、アホな運転を慎むということになるのは当然の風向きであるのはわからんでもないが、とにかく、あーらびっくりねである。

もしかすると、12月以前にすでにそうなっていたのかもしれんが、あたしにはいきなり変わったとしか思えんのである。

いずれにしても、よろしいことであるのはいうまでもないことである。

てなことである。