おにいさんとわたし


まあ、おにいさんとよばれなくなって久しいのであるが、おじさんとよばれるのはいやだし、おっさんもいやだし、おやじさんもいやである。

そのうちおじいさんだのじじいだのと呼ばれるようになるわけであるが、呼ばれるうちはまだましで、呼ばれなくなると棺桶の中である。

ううむ、なんでその方向に話が行くのかわからんが、人生は死ぬまでの暇つぶしという名言が我が家の家訓であるので、この先も日々、暇をあれこれつぶす方法を模索するわけである。

暇つぶしの中でも漫画を描くのは実に暇がつぶれるのである。

それで、漫画を描くにはとにもかくにもネタつまりアイデアを考えなくてなならないのである。

これが商業誌の場合であれば、編集者と、読者というスポンサーの人気を考えなければならないので、エネルギーも尋常でない量が必要であるので、はせがわせんせーを始めとしてたいていの漫画家は一度ならず大病をして、さらに、てづかせんせーを始めとしてたいていの漫画家は早死にである。

まあ、たいていであって、やなせせんせーのようにご長寿の部類に入る人もおられるので、やっぱり、なるようになるものはなるようになるわけである。

まあ、それでネタができたら、ケント紙だの模造紙だのてな紙に書く場合は、下書きをすればその上をペンだのロットリングだのサインペンだのでそのとおりになぞればいいだけであるので早いと思うが、そのあと消しゴムをかけて、ベタだの色付けだの修正だのをしなければならないので結局けっこうな時間と労力がかかるのである。

それではタブレットで描けば早いかというとそーでもなくて、指マンに慣れないこともあるが、消したり描いたりでやっぱりけっこうな時間をとられるのである。

まあ、おママンがはもちろん編集者もスポンサーも関係ないまったくの暇つぶしの道楽趣味であるので、ネタを考えるわけでもなく、タブレットに指でてきとーに描き始めててきとーにオチをつけて出来上がりである。

オチのない漫画が当初のコンセプトであったが、どうもオチをつけないと気が休まらないので、結局、オチのある漫画を描いているわけである。

ううむ、情けない。

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