海岸物語2


やけくそかよという指摘もあるかもしれないネタであるが、もっとやけくそになりたいわけである。

芸術はやけくそであるというのがあたしの持論であるので、どんなに捨てようと思っても、どこか捨てきれないところがあるのがさもしくて情けないのである。

だれが芸術だ。

ぜんぜん身のないおためごかしのつかみは置いといて、まあ、あたしの人生でクマに食われることはないと思うが、それでも絶対にないとは言い切れないのがこの世である。

また、あたしの行きつけの江の島の海岸にクマが出ることはないと思うが、それでもわからんのがこの世である。

そのあたりにクマを飼ってるクマおじさんてな人がいて、そのおじさんがうっかり、小屋のカギをかけ忘れてクマが海岸に散歩に出て、そこにあたしがのほほんと散歩に出かければみごとにクマと遭遇して食われることになるかもしれないわけである。

だれがクマおじさんだ。

さらに身のないおためごかしの尺稼ぎのネタはあっちに放っといて、太っていてクマに似ている友人を「クマのプーさん」と呼んだら本気で怒られたことがあるが、たいていの男はクマに似ていることに不快感があるのかもしれないのである。

まあ、某ちゅーごくのしゅーさんが、プーさんを検閲でNGにしてるという話を聞いたことがあるが、そんなに似てると言われるのがいやなのかと思うぐらい、万国共通に、クマに似た男にとってはクマに似てると言われるのがいやなのかもしれないのである。

クマが絶滅していなくなったら、クマに似た男はなんと呼ばれるのかと考えてみると、ほかに例えるものがないということに気が付くのである。

クマに似た男はやっぱりクマがいてこそのクマに似た男である。

なんやそれ。

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