まあ、なんである、アペのミクスは完全に地の果てまで吹っ飛んでると思うが、まだ、なんとかなると思ってるのかどうなのか、いまだに緊急事態宣言を出さない安倍さんの意図がさすがにわからんが、小池さんもヤバいと思ってる感じが見て取れる今日このごろである。
そんな事態に神奈川県の津久井湖を通りかかったら桜がまだ咲いていたので、駐車場に車を停めてあれこれお花を拝見したのである。
花見自粛のさなかに花見であるから、不見識も甚だしいが、人がいなけりゃ不見識もへったくれもないのである。
これはパンジーかね、桜とのコラボであるが、だからなんだと言われれば、別に、と答えるしか無いのである。
なるほどね。
時期が時期だけに葉桜もちらほらで、このなんとも言えない風情が日本の明日を象徴しているようで、ああ、この世は終わるのかと寂寞とした心持ちで見上げれば涙も溢れていつもの嘘泣きをしてしまうのである。
春であるので駐車場のお花畑は爛漫に咲き誇ってあたしらコロナによる死出の旅路を祝う献花のごとき風情である。
こらこら、いきなり殺すなよ。
死出の旅路の旅支度に菊の花かと思えばうろ覚えの記憶ながらおそらくマーガレットかもしれないのであるが、調べたわけではないので定かでないのはいうまでもないことである。
なにしろ花に全く興味がないのでおためごかしの文章であるのは否めないが、なんとか尺を稼ぎたいというのが正直な心意気である。
心意気の使用法がこの際正しいのかどうかはさておいて、さておくのかよ、花々も絢爛と咲き誇る春に世間はコロナとの大戦争間近の危機をはらんで、生き残りに心を砕く心象風景の出来事である。
グーグル翻訳かよ。
ううむ、こーなるとまったく花の名前がわからんが、花もそれぞれ命の息吹をこれでもかと吹き上げて短い花の命を寿ぐばかりである。
ちゃんと文章を綴れんのか。
綴れんのだ。
じゃあ、しょーがない。
チューリップも咲いて、さいたさいたちゅーりっぷのはながという童謡を思い出して、思わずはらはらと涙を飲み込むのである。
飲み込むなよ。
さてそのまま、すいすいと道の駅道志まで走って、もちろんお外のテーブルで飯食ったのである。
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