何事においても、ものごとはゆるゆるな精神状態で見ることが肝要である。
ゆるゆるな精神状態とは、てきとー、いいかげん、やらないよりはマシてな状態である。
人間てなものは何をどうやっても成就するものは成就するし、何をどうやってもだめなものはだめである。
たとえばお仕事を死ぬほど努力してがんばってるのに、通勤途中でアタマがパンクしたわけのわからん見ず知らずのにーちゃんに刺されたりして死んじまったりするのである。
あるいは通りがかりの工事中のビルから足場が降ってきて即死したりするのである。
あるいはギアを入れ間違えたじじいの車にひき殺されたりするのである。
本人の不注意でもなく、本人の努力不足でもなく、まったく予期せぬ方向から人生の終わりがいきなりこんにちはするのである。
まあ、これは極端な例であるが、ことほどさように何事においても本人の努力精進とは無関係に行き先は決まっているのである。
たとえば低知能でバカ丸出しの両親のもとに生まれれば、何をどう努力しようが本人もバカ丸出しの人生を送ることは必定である。
生まれは本人にはいかんともしがたくまさに神の思し召しであるが、つまりは、生まれた時点で人生の先行きは決まっているわけである。
「努力すれば必ず報われる」なんてのは恵まれたDNA遺伝子配列の親から生まれたことを自分の努力と勘違いしているとんちきのたわごとである。
天才藤井壮太の出現にかこつけて「天才の作り方」てな間抜けな本が売れたりもするが、低知能でバカ丸出しの両親から生まれた子供が天才になることはないのである。
バカにどんなに優れた教育をしようが多少マシなバカになるだけである。
どんなに努力しようが教育を受けようが、チンパンジーはチンパンジーである。
まあ、そうはいっても、そんなことで納得できないのはあたしら低知能に生まれたものの浅ましさである。
今日も明日も無駄な努力を積み重ねて、無駄な人生を心行くまで楽しもうではありませんか。
ううむ、語彙も文章もひどく間違ってる気がするが、まあ、てきとーをもっとーとしているので、こんなもんであるのはいたしかたないのである。
終わりかよ。
思いっきりゆるゆるだな。
なんでもええがね。
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